無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

こういうのも野生生活なのかな?

スマートフォンの普及により、ネット上での情報の取捨選択は格段に煩雑になった。平たく言えば無駄な情報を選り分ける作業がこの十五年で大変になったなぁというだけなんだが、だからこそ誰の言葉に耳を傾けるべきかというのはよくよく見極める…聴き極める?必要がある。

ネット上で声の大きい人というのは要するに暇な人なのである。私が週に10回更新出来るのも5時間の暇があるからだ(一回あたり20〜30分で書いている)。中には、コイツがこんなに嫌いだとかコイツはこんなに馬鹿だとかいう話をライフワークにしているように見える人も居る。私は御覧のように好きな人の事ばっかり書いている。人生様々だ。

そんな感じなので、ただ暇だから書いてるという人の意見は聞かなくてもよい。商品は買ってくれないし、ライブやイベントに来てくれる訳でもない。なので、商売をする上では無視してよい。

ただし、悪評を作る術には長けている。暇なだけあって幾らでも執拗になれる。なので、出来れば彼らから関心を持たれないようにしておきたい。多くの場合彼らは非特定型匿名である。私みたいなのは特定型匿名だ。実名ではないが、どの発言が私のでどの発言が私のでないかは区別する事が出来る。彼らの場合、どの発言が誰のものかさえよくわからない。

こういう、漠然としたreputation〜評判というものを、スマートフォン世代ではよくよく見極めなければならない。まず関心を持たれない事、更には苛立たせない事である。出来れば、こいつを叩くと自分が惨めになる、という空気を作っておきたい。

ヒカルは、その点でずっと抜群だった。勿論彼女に対して悪辣な言葉をかける人間は後を絶たないが、総じてどこでも「あの人は変わっている」という烙印を押される。実力が図抜けている、というのがまず一番で、それが広く認められている、というのが二番なのだが、案外重要なのが次、ヒカルがそういった人たちの目を見て話しているように見えていた事だ。極端な言い方をすれば仲間意識である。例えば、2ちゃんねらーがヒカルをババア呼ばわりしていたのは親近感の現れである。

ここを皆見落としがちなのだ。彼らに無視して貰う為には、彼らの目を見る必要がある。彼らは、非特定型匿名さんたちは、自分自身が見られる事に対してかなりナイーブである。だから非特定型なんてやっているのだが、だからこそ、そこをキッチリ突いておきたい。

「ヒカル姐さんまるで俺ら/おまいらだな」という意識を持って貰えるような言動をしていれば、彼らは食いついてこなくなる。端的にいえば、彼女もこっちの書いた事を読んでいるかもしれない、と思わせること。その親近感だ。

酷い事を言う人は、相手の事をよく知らないから、面と向かっていないから、言えるのだ。極悪人扱いというのは、想像力の余地があるからできる事。相手も同じようなご飯を食べていて、同じような音楽を聴いていると知れば、想像力は使えなくなっていく。

こちらから近づいてみる事だ。そしてよく知る事。そして、そこから距離を取って目線を逸らさない事。なんだか野生動物に対する対処法みたいな話になったが、ヒカルはずっとこれをやってきていたし、誰よりも長けていた。


でも今はどうなのだろうか。スマートフォンの普及によって更に爆発した「誰が言ってるのかもわからない、何を言ってるのかもわからない」世界に、彼女はまた戻ってくるのだろうか。そこらへんが最近よくわからない。Facebookに居着いて幸せアピールしてくれるのならそれもいい。僕も、正直、どちらの世界でこれからのPop Musicが生まれてくるかわからないんだよね。ヒカルは、歌が生まれる方に行けばいいと思う。両方だっつーんなら、両足突っ込んでしまえばいい。得意の二足の草鞋、"人間には手が2つあるのだから"スピリットの発動だ。でもまぁそれは追々でいいか。いつか、ね。