無意識日記々

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よくわからないけど説得してみる

最初の最初はシンプルで構わないのだ。「なんだかよくわからないけどライブがやりたい!」と叫べばいい。やりたくなった理由がどうのとか具体的にどんなライブをやりたいとか細かい事はどうでもいい。ヒカルがライブをやりたいと言えば総てが始まる。

そもそも、宇多田ヒカルがライブをやりたいと言い出して反対する人はこの世に1人も居ないのではないか。誰もが「そうかそれは楽しみだ」となるだろう。全く興味の無い人も「ふーん、やりたきゃやりゃいいんでないの」と言ってくれる。文句があるとすればプロモーション戦略上のタイミングがどうのとか、ヒカルのキャリアを真剣に考えている人たち、つまりSONYに移籍したチーム宇多田の面々だ。勿論、彼らこそが「いちばんヒカルのライブを観たい」人たちなのは言うまでもない。ヒカルがライブをやりたいと言って真っ先に相談されそれを少なくとも内心では大喜びできる人たち。ライブに反対するとしても、誰よりもヒカルの事を考えている彼ら位のものなのだ。照實さん? ファン歴世界最長の人ですよ言うまでもないがな。

でまぁ。最初は衝動的に始めたとしても具体的に話を詰めていくうちにライブの概要が固まってくる。今やヒカルは座長だから大きな決断は自ら下す立場だ。その選択と決定によってライブ、コンサートツアーが「ヒカルの情熱を表現した作品」として我々の前に顕現していく。そのプロセスを経てヒカルも自らの情熱の詳細を知るのだ。

したがって、「なぜヒカルはライブをやりたがったか?」の答を知るのはツアーが終わった後かもしれない。そこで振り返って初めて、何があったのか理解ができる。そして「やってよかったかどうか」の価値判断はしばしば最初の情熱と関係ない視点で為されるのだ。

「あたしはただステージに出て思いっ切り歌いたかっただけなんだけど、思ってた以上にみんなが喜んでくれてよかった」とか「気がついたら身体が鍛えられててツアー前より健康になっててよかった」とか「地方の経済の活性化に一役買えたみたいでよかった」とか、事前には想定していなかった「よかった」が次から次へと出てくる。それは、最初の情熱や欲望が報われるという本筋から離れた「望外の成果」である。いつのまにか倒産寸前の中小企業を救っているかもしれないし、離婚寸前だった夫婦が仲直りしているかもしれない。寧ろ、「自分が事前にやりたいと思ってた事は全然できなかったけど、やりくりしてるうちに喜んでくれる人たちが増えてった。これはこれでよかったのかな」と思えるようになっているかもしれない。事前にはわからんのだそんな事。自分の最初の情熱を信じてあげる所から総ては始まるのだし、求めていたものが得られなくて求めてなかったものが得られても「これでよかったのかも」と思えたら正解である。特にヒカルが人前に出ればそれだけで世界の
笑顔の総量がちょっぴり増えるのだから、何も躊躇う必要はない。人前に出る仕事をしたいとなったら遠慮は要らない。きっと何かの実を結ぶ筈だから。