無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

近くの蟠り、遠くの憤り

イスラム国の人質事件のニュースを目にして、遠い国の出来事のように感じもするし、もし自分があの立場に立ったらどういう風に振る舞うだろうとも思うし、インターネットで繋がっている世界は奇妙なものだ。

Hikaruは元々国際的な問題には関心が強い方だ。いやまぁ二重国籍だし国際結婚してるし契約を結んでるのはグローバル企業だし、関心を持つなという方が無理だ。特に、今後ツアーで各国を廻るとなると国際的な感覚や、その土地々々での習慣やしきたりなどにちゃんと関心を持つべきだろう。

これは国境だけの問題ではない。文化圏同士の接触の問題でもある。桑田佳祐がライブでの発言を文書で謝罪したが、これなどは彼からしたらいつも通りの発言をしただろうに、紫綬褒章なんていう異文化の勲章が絡んだ為に話がややこしくなった。一部記事によると、紫綬をポケットから取り出して「これ欲しい人。5000円から。」と言ったらしいが、真偽やニュアンスは置いておくとして、これで問題になるなら桑田佳祐という個人自体が出禁になるだろう。異文化との接触は、今まで問題ではなかった事を問題として浮かび上がらせる。

ならば最初っから接触しなければよいのだが、それではそもそも軋轢が存在するか否かを知る事が出来ない。やはり一度はどこかで接触をもってどこがどうなるかをみてみなければならない。

程度の問題だ。小さく接触をもち、小さな軋轢のうちに小さく解決、妥協する。それが出来るかどうか。大抵無理である。ジョン・レノンは世界平和を堂々と歌ったが「たった4人の関係を修復する事すら出来なかった」と揶揄される。ビートルズの解散は、ジョンがヨーコ・オノを連れてきた為だとすら言われる。これも真偽は兎も角、誰しも、家族や友人との軋轢を抱えていて、なかなか解決しない。話のサイズが大きくなっても小さくなっても、結局のところは難しい。

Hikaruも同じように思われてるんだろうか。一度離婚を経た事で、「パートナーとの関係すら修復できないのに」と捉えられてやしないか。それとこれとは関係ない、というか、別の問題なのに、と言いたくなる。彼女の昔の結婚生活はうまくいかなかったかもしれないが、私がオフ会に行くと、ヒカルが如何に沢山の人たちを結び付け、その場で仲良く振る舞わせているかというのに驚く。ヒカルの存在は、確実に人々の、我々の人間関係をより良好にする力を持っている。素朴な実感だが、"テレビの向こうの国際問題"よりも、私にとってリアリティがあるのだ。自分が周りとどうあるかと、社会的な影響は別なのである。如何にジョンが4人の関係修復に力を発揮出来なかったとしても、もしかしたら、あのあともう30年生きていれば、世界平和に大きく貢献したかもしれない。それは本当に、別の問題であり、わからないのである。

今も人質のお二人は健在なのだろうか。インターネットを覗くと、彼女らと個人的な知り合いだという人たちの発言も飛び込んでくる。やっぱり物凄く身近なような、やっぱり遠い国の出来事のような…。