無意識日記々

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繋ぎ止める力について

凄いなぁ、錦織が全豪ベスト8に入っても大した驚きがない。世界5位なんだからベスト8は義務だと言わんばかり。変わった。

しかし、去年から続くこの錦織ブーム、いつまで続くのやら。はっきり言って男子テニスは観ていて面白いスポーツではない。そもそも試合時間が4時間や5時間もかかるだなんて、映画だったら前後編に分けて上映するところだ。特に最も注目度の高いウィンブルドンなんぞサービス放り込んで終わりである。勝負の妙味も何もない。

しかし、男子テニスの試合を短くしようだなんて声は聞かれない。ウィンブルドンは客が入りっぱなしだからだ。テニスファンは皆満足しているのだから。試合時間が長くてつまらないだとかビッグサーバーには欠伸が出るとかいうのは彼らからしてみれば「テニスを分かってないヤツ」の言う事なのだろう。ごもっとも。

こういう状況って難しい。テニス愛好者というのはどこの国でも貴族的な、マナーを尊び品行方正な紳士淑女と相場が決まっているので概して改革を嫌うという意味で保守的なのである。実際に物凄い数のテニスファンが現存し現行ルールを好んでいる。何の問題もない。

果てさて、錦織ブームでどれどれテニスでも観てみようかとなった日本人が、そこからどれだけテニスファンになって貰えるかだ。例えばフィギュア・スケートなら、細かい採点基準はわからなくても、テレビで観ていて美しいし楽しい。その要素がなければあそこまで高視聴率を稼ぐビッグ・コンテンツにはなりえなかっただろう。果たして、例えば日本から錦織クラスの選手が2人3人と同時代に出てきたとして、4大大会の決勝戦などが高視聴率を獲得できるだろうか。見ものではある。


超ビッグなスーパースターが出てきた時その人(々)はそのジャンルの広告塔としての役割を担う。16年前のヒカルはまさにそれで、「CDを買う」という行為を最大限まで広めた貢献者であるとともに、沢山の「買ってみただけの人たち」を繋ぎ止めきれなかった"犯人"でもある。まぁ実際は、1998年がCD生産のピークで、1999年以降は寧ろヒカルのお陰で"下げ止まった"というのが正しい解釈なのだろうが、ヒカルがそういった広告塔としてな役割を当時担っていたのはまぁ大概事実と言っていいのではないか。

私からすれば宇多田ヒカルを聴いた事がある癖に買わなくなっている人には耳掃除を勧めたくなるのだがそこはぐっと堪えて。どうして"繋ぎ止めきれなかったのか"については反省する事も出来る。或いは、実際は数字にあらわれていないだけで、音楽は90年代よりずっと愛されていたりするのかもしれない。ここは、わからない。

しかし、昨年のアナ雪の大ヒットをみれば、スイッチさえ入ればまだまだ皆が歌を口遊みたくなる局面は多いのだと知らされる。何をどう組み合わせれば、次のヒカルがああいった層にまでアピールできるか。考える必要があるだろう。


いや、そんなの考える必要なんてそもそもないのではないかという反論については、また次回のお楽しみ。