無意識日記々

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ウィンブルドンベスト8ピエロ

松岡修造が、錦織圭アンドレ・アガシのエキジビション・マッチで試合をしたという話を記事で読んで、「へー」となった。記事によると、錦織は手首の故障を理由にエキジビションを8ゲームスマッチに短縮して行ったのだと。そのあと自らマイクをとって松岡修造に試合をするように促したと。

「へー」というのは、松岡修造のプロフェッショナリズムに敬意を表してだ。彼はメディア対応、観客対応がテニスに於いて如何に重要か知り尽くしている。メインのエキジビションマッチが予定より短縮された中で、どうやったら観客を満足させられるか、そして、如何に錦織圭に負担をかけないか。現役テニス選手にとって故障がどれだけ恐ろしいものなのか、松岡修造は痛いほどよく知っている。そして、如何に地上波テレビをはじめとしたメディアの人間がスポーツ選手のコンディショニングについて無知で鈍感で横柄なのかも熟知している。その状況の中で、日本テニスの広告塔として道化を演じ続けつつ、身体を張って錦織のコンディショニングを優先させたのだろう。こういう時に彼の築き上げてきたキャラクター性は役に立つ。観客も、松岡修造のエンターテインメント・ショウが観られるのなら満足だろう。そう思わせるだけの地位を彼は築いてきた。松岡修造は錦織圭のテニスの師匠ではないかもしれないが、恩人である事は間違いない。


この、「スーパースターを如何に休ませるか」という問題設定はそのままHikki_staffをはじめとしたレコード会社の皆さんにとって切実だろう。「人間活動」とは、守られているばかりではダメだという意識も携えて始まったものだが、この4年間、確実にHikki_staff陣営は、少なくとも市場における宇多田ヒカルネーム・バリューを維持する事に結構な労力を割いている。今年も、Sweet & Sourの再放送、FL15の発売、WOWOW宇多田ヒカルの日(ヒ)、宇多うた、シンコレハイレゾとまぁ本人不在の中でよくぞこれほど次から次へとという具合。こうする事で、宇多田ヒカルの看板を守っているのだ。感服する。

ただ、どこまで自分たちを前面に出すかというのは難しい。松岡修造の場合は自らのキャラクター性がここまで如何に確立されてきているかを知っているからある意味ある程度でしゃばっても大丈夫なのだが、Hikki_staffの場合完全な裏方である。今回の場合も、沖田さんが監修の企画だろうに彼の名前は前面に出てこない。あクマで名前として前に出てくるのは「宇多田ヒカル」という看板である。今までの露出度を考えれば、これでいい。

しかし、これで本当によかったのか、という自省は常に必要である。亀田誠治氏ほどに著名になる必要はないけれど、"名物ディレクター"という程度に名前を売っておいてもよかったかな、とも思うのだ。そうすれば、熱心なファンの間では「おぉ、あの肝臓先生が」という風になっていたかもしれない。ここらへん、どれくらいからでしゃばり扱いされるかはわからないが、ただただ裏方に徹して奥に引っ込んでいるだけが本人を立てる事に繋がる訳ではない。松岡修造は極端な例だが、自らのしてきた事を誇りをもってアピールする事は必ずしもマイナスにはならない事も心のどこかに留め置いておいて欲しいものである。