無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

キコはフランチェスコの一般的な愛称です。

解決方法はもうひとつあって(と唐突に前回の続きから)、制作費に合わせて商品の単価を変えればよい。CDもDLも関係ない(前回指摘した通り、その差は紙の本とKindle本の価格差と変わらない)。スガ氏がそんなに音作りにこだわったのなら一曲400円でも500円でも1000円でも高値をつければよい。コストをかけただけあるサウンドだと納得すればリスナーは喜んでその価格を支払うだろう。一方、フリーソフトDTMとヴォーカロイドで作ったトラックは50円とか100円とかで売ればよい。それだけの話なのだがなかなかこれが実現しない。同じ再販制度に守られている書籍ですら、商品毎に価格が異なるというのに。しかし、総ての曲が同じ値段という今の状況にも一理ある訳で…

…という方に話が逸れたら長くなるので話を本筋に戻そう。

今の音楽商品の価格の半分近くは、前回書いた通りレコード会社の取り分であり、その内訳は大きく分けて2つ、制作費と広告宣伝費である。

特に後者は日本に於いて特徴的な様相を呈する。日本という国は情報中央集権国家であり、メジャーのレコード会社はそれを最大限利用する。それは全国に放送される地上波テレビであり、全国を網羅する書籍の流通網であり、離島ですら都内と同じ日に同じ品揃えを可能にする(可能なだけで実際は違うが)伝統的なレコードの流通網である。これらを駆使して全国規模で商品を売る。その為、収益構造が全国規模の多額の広告宣伝費をかけて高額の商品を大量に売るというものになっているのだ。この構図を変えるのはなかなか難しい。

流通網だけでなく情報網も掴まなくてはならないのがミソで、最も効率的なのは全国ネットの地上波テレビのCMと高視聴率番組(主にドラマ)であり、音楽業界はそれらを最大限利用してきた。加えて、ワイドショーや音楽番組で取り上げて貰うのも美味しい。書籍・雑誌なら、コンビニにも置いてあるようなテレビ誌や週刊誌、スポーツ新聞などで取り上げて貰うのも有り難い。その為、大手のレコード会社はテレビ局やラジオ局、出版社とのパイプを維持するように努めてきた。


この前提を踏まえる必要がある。宇多田ヒカルというアーティストは、最初期においてこの日本独特の中央集権体制を最大限利用して売りまくった市場史上最高のアルバムをもつ。多分途中からは制作費も広告宣伝費も回収がとっくに終わりCDの製造はお札を刷っているような感覚だっただろう。

総ての人間がその残像の中に居る。当然、メディアの人間はミュージシャンを話題に取り上げる事について「宣伝してやってるんだ」という意識を持つだろう。彼らを邪険に扱うと、途端に総てが悪い方向に向かう。今回のASKAの件は関係ないが、彼らが本気を出したら小さなスキャンダルを炙りだして警察や検察が動かざるを得ないところまで持っていく事が可能だ。同じような人は沢山居るだろうに、氷山の一角が見せしめとして晒される。そのうちに商品が店頭から撤去される。つくづく、情報網とは権力なのだと痛感させられる。

ヒカルがゴシップから解放されるには、従って、この構造から脱却せねばならない。即ち、ありていにいえば、メジャーレーベルからドロップアウトするべきなのだ。しかしながら、EMIとは多分10枚位の契約を(無期限で)結んでいるのではないだろうか(勝手な推測です)。恐らく、ヒカルがドロップする事はないだろう。レコード会社が潰れる可能性の方がまだ高い。それも、UMGという超巨大事業体に吸収された事で暫くは殆ど考える必要がなくなっているが。

そんな感じなので、ヒカルはどこまでいってもゴシップにまとわりつかれる。パパラッチに追われ、コレポンにアポなし取材され、写真を撮られ、ある事ない事ごちゃ混ぜにしてあれやこれや書かれる。これはもう仕方ない。メジャーレーベルアーティストの宿命なのだ。

なので、皆さんは是非マスメディアとはうまく付き合っていってあげてくださいな。私はというと、そうね、今まで通りに変わらず振る舞いますので。どういう意味だろうね。(笑)