無意識日記々

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お値段つけられない

配信の値段設定がもし自由に出来たら、ヒカルは一体幾らにするだろう?

どうにも、DRMフリーの流れはよいのだが、それで一気に値上げされた(と言っても150円→200円→250円という流れだが)のがどう影響したのか、ちと気にかかる。

恐らく、短期的にみればこの値上げは正しい。配信で単品購入してきた層は、たとえそれが少々値上げされたとしても相変わらず購入するだろう。もう少しいえば、それによって減る頭数の分を値上げによって十分にカバーできただろう。

しかし、それは、本来の配信の"理想"とは違う場所での話だ。つまり、まるでテレビのリモコンを使う位の何気なさで曲を買ってもらう事だ。これがなぜ210円で売っていた着うたで達成されてフル配信で達成されないのか。

その問いに対する答を持ち合わせている訳ではないが、もし仮に各ミュージシャンが自由に値段設定ができればどういう事になるだろう、とついつい思ってしまう。コアなファンを当て込んで値段を上げていくか、たくさんのライト層に手を伸ばしてもらって薄利多売でいくか。様々な実験が為され、その中から成功例が出てくるのではないか。

しかし、それをするには音楽産業の根幹を変えなければならない。元々、どのレコードも同じ値段で売るという習慣は、一体何を反映した話なのかが難しい。確かに、物理的な手間は同じだからそこの部分は固定された費用となるだろうが、こと音楽の制作費となると別だろう。そこのところを、かけた制作費に比例して売上があがるのなら理屈は通るのだが。再販制度に支えられた書籍の例も参考になるかもね。

で、ヒカルの場合大量のライト層に支えられてここまで来ている。本人がコアな層を囲い込もうとしないからだが、それを考えると配信価格は下げた方が面白いんじゃないかと思うのだが、今のところ現実にはそうなっていない。確かに、物凄く単純に計算すれば、250円のものを150円で売るなら、250円で30万枚売れるものなら150円だと50万枚売らなければならない。そこまでの伸びが見込めたかというと実に怪しい。

やはり問題はそこではなく、前回も述べたように、値段が下がる事で「消費者の意識を変える」ところまでいかなければ、配信市場の真髄は発揮されない。そして、それは宇多田ヒカルの力をもってしても難しい。もう暫くは様子をみた方がよさそうだ。