無意識日記々

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宇多田ヒカルの"シンデレラ・ストーリー"

歌で物語を表現する時、問題になるのはその"尺"である。3〜5分の長さで日本語で歌うと、なかなかちゃんとした物語は語れない。故に、ひとつの場面に絞り、そこでの感情の動きを表現する、という感じになりがちである。

Movin' on without youはその点優れていた。1番の出だしが午前3時で、2番の出だしが午前4時。それぞれの時刻の感情を爆発的に表現しそれらを対比させる事で、この1時間の間の「感情の物語」と、破局するに至る2人の「これまでの物語」の両方を想像させる効果を持たせた。15歳とは思えぬ巧みさである。いや、何歳であってもここまで鮮やかな歌詞はなかなか書けない。

しかし、当然の事ながらこの鮮やかさを生み出す為にはかなりの分量の「創作上の試行錯誤」が必要となる。逆からいえば、そのような煩雑な試行錯誤を厭わない強い精神が優れた歌詞を生む。ならば、とFL15DXのDemo Versionを聴いてみよう。

様々な英語のコメントが興味深いが今回は的を絞る。1番Aメロの歌詞だ。デモでヒカルはこんな風に歌っている。


『夜中の3時am 枕元のPHS
 鳴るの待ってる バカみたいじゃない
 夜中の0時am 時計の鐘が鳴る
 ガラスのハイヒール見つけないでね』

これが、完成版だとこうなる。

『夜中の3時am 枕元のPHS
 鳴るの待ってる バカみたいじゃない
 時計の鐘が鳴る おとぎ話みたいに
 ガラスのハイヒール 見つけてもダメ』

完成版の方が明らかに切れ味が鋭く、鮮やかだ。

まず、“夜中の0時am”が削られている点に注目。先程触れたように、この歌は1番と2番の間に1時間経過しているというのが構成の肝だ。したがって、ここで0時amという時刻を歌ってしまうといったん時計が過去に戻ったように聞こえる為、1番の3時と2番の4時の対比がかりづらくなる。要は邪魔が入るのだ。

しかし、だからといってこの"夜中の0時"をただ削ってしまうと、次の「ガラスのハイヒール」が唐突に感じられてしまう。「時計の鐘が鳴る」だけでは弱いのだ。

それに、ここの"夜中の0時"は実際の時刻というより比喩である。恋の魔法が解けるタイム・リミット。シンデレラ・ストーリーから覚めるタイミングの喩えとして”0時“を使っているのだ。しかし、先述の通りこの歌では実際の午前3時と午前4時を取り上げているので具合が悪い。

そこでヒカルは大胆にも"夜中の0時am"を削り、更に大胆にも『時計の鐘が鳴る』という歌詞をまるまる一節分ずらして『おとぎ話みたいに』を放り込んでくるのだ。つまり、『時計の鐘』『おとぎ話』と『ガラスのハイヒール』の組み合わせによって"シンデレラのタイム・リミット"を表現する事に成功したのだ。

しかし、ここでの改変で最も鮮やかなのは…おっと時間が足りなくなった。この続きはまた次回。