無意識日記々

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平和の象徴

春画ツイートの関連記事をやっと読んだ。まぁそんな感じか。ある程度影響力を加味した呟きだったのかな、とは思うがこのRT数で果たしてどうか。今はその日の話題に上る為には2万RTくらい必要だからな…。

それはまぁ憂慮しても仕方ないとして。どうやら一応日本でも開催される可能性があるようで、それを見越しての呟きだったとすれば、私もその折には見に行く所存。都内だっていうし。

実施の可不可もそうだが、展示のアレンジメント(展示アレンジか…なんだこのくすぐったいダサさは)の方法論も問われる。大英博物館では年齢制限が設けられたとか。本当に博物館史上初ならセンセーショナルだな。日本ではどうなることやら。

アートかポルノかという議論は私には関係ないし、そもそも年齢制限というルールが結婚可能年齢と整合性が無いので馬鹿馬鹿しい(男子が18歳で結婚する時に何の予備知識もない状態を奨励しているとか何。いやおねショタ的には美味シチュか…)ことこの上ないのだが、現実は実際こうなので話はそこから始めるしかないか。

アートかポルノかという話題は、作品の内容はおいておいて、"市民権"という謎の権利を主張できるか否かが主眼だ。それは、「迫害されない権利」である。人を迫害する事に興味が無い私のような人種にはまるで遠い国の出来事なのだが、世の中には他人の生き方が気に入らないからと邪魔をしにわざわざ出掛けていく人が沢山居るらしい。贅沢な人生の時間の使い方だなーと毎度思う私はそんな暇があったら昼寝をしていたいんだが、兎も角現実はそうなってるんだからその当事者たちは考えなくてはいけない。

春画というキーワードでくくるなら春画の全盛期は今、現代である。勿論技術の変化や進展と共に表面的な画風は変わってきているが、デフォルメされた造作、人体以上にこだわりをもって描かれる衣服と背景のバランス、構図の多彩さなど、やはり伝統は直接継承しなくても息づいているものなのかとイタリアンプログレとRhapsody of Fireを聞き比べながら思うのと同じ事を考えてしまう。それが年に二回も万単位の人間を動員して即売会を行うのだからその規模たるや。あーコミック・マーケットの話です。明らかに春画が一大勢力です。

現状、二次創作も豊富な同人誌の世界は常に規制強化の圧力と戦っている。「風紀の乱れ」だか何だか知らないが、ほっとけばよいものを取り締まりにくるからねぇ。つまり何が言いたいかというと、春画展の開催の有無は対岸の火事ではなく、"現代の浮世絵師"(まぁだいたいエロ絵師)の皆さんにとっても注目すべき問題になりえるぞと。

色々揃ってるのだ。日本の昔からの伝統、イギリスなどの外国からの外圧、アートとしての市民権。規制強化をしたがる方が"好む"ワードを並べる事ができる。つまり、結構反対しにくい。あとはこういう実績を重ねていって少しずつこういう文化の"居場所"を確保していく事だ。まぁ、無理かもしれないが手を尽くすしかない。

本当なら、放っておいて欲しいのだ。あなた方には興味がありませんし、我々は自分たちのテリトリーから出る気もないですから、どうかご自分のお時間をお過ごしになってください、と。要するに暇なんだろうな。信じられない事だが、世の中が平和だと居心地が悪い人たちが沢山居るのだ。こちらからすれば、平和なんてやっとスタートラインであって、そこから何をするかが問題なのに。

春画は重要だ。試金石であると同時に、当然作品としても。あんなでも、平和の象徴なんだから。