無意識日記々

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何もしないことの難しさ

じゃあヒカルはどうすればいいか、というともう一つの方法、「何もしない」というのがある。

ネット時代になってやれる事が格段に増え選択肢が広がり生き方が多様化している。そういうのに疲れている人も沢山居る筈だ。そういう人たちに対して「これを買え。以上。」とシンプルに言って終われるようなものを提示出来れば特に頼もしいのではないか。

やれマネタイズだマーケティングだソーシャルだコンサルティングだプロモーションだと色んな横文字が並ぶ中、どのレコード会社もあの手この手で売り方を模索し細分化された選択肢の数々を提示している。そういう中で消費者は自分の立ち位置をネットの中でもリアルの中でもしっかり見極めながら「私はこうだからこれを選んで」の連続だ。

はっきり言って面倒くさい。

宇多田ヒカルの新曲が出ました。これを買いなさい。以上。―これだけで済めばどんなに楽か。文脈がどうのコンテクストがどうの(同じだ)といった言い訳は無視して、買って聴いてみて「宇多田はいい歌を歌うねぇ」と思ってもらえればそれでよし。それ以上は何も要らない。

…というのが理想論。ネットワークとシステムとクラスタとコミュニティーに日々悩まされている中、それら総てから外れた所にヒカルがいつも居れば限りないオアシスだ。

ただ、その価値をわかってもらうのはとても難しい。今の時代にネットワークもシステムもクラスタもコミュニティーも使わずにどうやってプロモーションしろというのか。どうやって知ってもらえというのか。ほぼ無理である。

HikaruのTwitterフォロワーが190万人を突破したらしい。確かに、ここで一言呟けばかなりのプロモーションになる。1人の人間から1人の人間にメッセージが届く、というのが190万回ある訳でそれはある意味Hikaruにとって理想的な状況だが、そのメッセージを読んでくれる人はそのうちの何%なのか。更にそれに対して反応する人は何%なのか、全く予想がつかない。更に歌を買って貰うとなるともうどれくらい小さい割合になるのやら。

結局どこまでいっても「雰囲気づくり」は必要なのだ。いくらYoutubeで楽曲フル尺で流していても「聴いてみよう」と思わなければアクセスしようとも思わないしましてや買うまでいくとなると相当だ。いずれもまずは「知ってないとマズいんじゃないの」という雰囲気を個々の周囲に撒き散らす必要がある―

―当然こんな風に考える。そしてすぐにネットワークやシステムやクラスタやコミュニティーを利用し始めるに至るのだ。我々が疲れる面倒くさい方法論への第一歩である。

そうなのだ。「何もしない」のが本当に難しい時代なのだ。売れなくてもいい、というなら話が早いがそれはインディペンデント・レーベルでやるべき話。少なくとも今のヒカルに求めるのは、本人の意思を抜きにして考えてすら酷だろう。

ただ、「ネット疲れ」している人を癒やす方向に行くのは悪くないアイデアだとは思う。初回限定盤と通常盤のどちらを買うべきか考えるのすら面倒くさい、と思ってる人に何かを買わせるというのは、しかし、途轍もなく難しい。それを突破出来るのは結局歌の力しか無い訳で、随分と"分の悪い戦い"を強いられる事になるが、それが出来るのは最早ヒカルくらいしか居ないというのもまた事実な気がしてはいる。さぁどうなるんだろうね。