無意識日記々

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老いらくのらくって何だろな

前に「モーツァルトを楽しめるようになった」=「老いた」と個人的な事を書いたが、それ以来、本当に老いたなぁと実感する事が増えた。まぁ老いによって得たものが「モーツァルトを聴く楽しみ」なのだから、悪くないトレードオフだとは思うけど。

色々な老いを我が身に感じる今日この頃になっても、これだけは避けたいなと思う事がある。「昔はよかった」しか言わない老人になる事だ。新しいよさがわからない人間にだけはなりたくない。「なりたくない」というとネガティヴだが、つまりその為には苦痛も厭わないという意味だ。

新しい、とは若い世代の事でもあり、また年老いた世代の事でもある。即ち世代は関係ない。新人だろうがベテランだろうが、たった今生み出したものの価値をちゃをと見抜ける人間でありたいという事だ。

KISSのジーン・シモンズ(楽屋でHikkiを口説いたおじさん)は「ツアーに出ても皆が聴きたがるのは昔の曲ばかりだ。そんな状況で苦労して新曲を作り新譜を発売する意味がどれ位あるだろうか?」と言っていた。ごもっとも。新しいものを生み出す事ではなく、昔の栄光に浸っていたいと願うのは、いつの時代もミュージシャンの方ではなく、ファンの方なのだ。

そういう意味では、今私は世の中の大多数に対して喧嘩を打っている。悪くない。

我が最も尊敬するアイアン・メイデンは9年前、「名作完全再現ツアー」が流行する中、ただ一バンドだけ、(当時の)最新作を完全再現するツアーを敢行した。メタリカが「Master Of Puppets」20周年完全再現ツアーで世界中を廻っているのを後目に、である。堪らなくかっこよかった。そして、私は嬉しかった。私もまた、彼らに対して最も興味があるのはいつも新作からの新曲だったから。今までで最も素晴らしいコンサートのひとつ(at武道館)だった。


ヒカルの場合、観客のニーズに答え過ぎる事がある。次の復帰で、世の中の大多数から「昔の方がよかった」と言われ、ツアーをやっても歓声が上がるのは昔の曲ばかり、という状況になったら、ヒカルは遠慮なく皆の聴きたい曲を歌うだろう。

ある程度はそれでもいい。しかし、少しは意地になって欲しいかな、というのはある。単純に、私がヒカルの新曲をLIVEで聴きたいからだ。

この感情は贅沢から来るものだ。ヒカルの5もWILD LIFEも自力で当選して観に行ったので、感覚が麻痺しているのだろう。昔の曲は十分聴いた。常にツアーでは新曲を、となる。

私は、従って、多数派ではない。特に、次のツアーでは初めて宇多田ヒカルを観る人ばかりになる。そんな中で新譜からの曲ばかりでは期待に応える事は出来ない。私としてはほんのちょっぴり僅かに少しばかり残念である。

そうならない為の理想論は、新作がバカ売れして大量に「宇多田ヒカルのアルバムは最新作しか持ってない」という新規ファンを開拓する事だ。そうすりゃツアーの選曲は新曲が中心になるだろう。私も嬉しい。

もっとも、ヒカルが出てきて歌ってくれるなら昔の曲だろうがカバーばかりだろうがそれも演歌しばりだろうが私は嬉しくて仕方がないので、そんな嬉しさの差は誤差に過ぎないのだが、新曲がいちばんテンションがあがる方が、お互い幸せなのではないか。そういやWILD LIFEでいちばん印象に残っているのはTシャツ姿で歌ってくれたCan't Wait 'Til Christmasだったな…いやBLUEもよかったぜ…Beautiful WorldもShow Me Loveも…愛のアンセムの歓声も忘れられないねぇ…ってキリがないわ。

まぁ、そんななので、この観点からいえば、「新作は、売れてください。」となる。そうするとまたチケット取り難くなるんだよな。こればっかりは、仕方がないか、やはり。