無意識日記々

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まくらくま

「まくらくま」は回文だ。

『まくらさんがいるよ』は度々メッセージにも登場したフレーズだ。くまちゃんとまくらさんはセット。ひかるからするとまくらさんは、己の肉体の形状をそのままふんわり受け止めてくれる存在。或いは死。確かに、それは棺かもしれない。くまちゃんにはブランドものの"棺"があるし何が何だかもー。

まくらで連想するのは「眠れ」という命令系。小さい頃のひかるにとっては、話し相手のひとつだったかもしれない。そういや、馴染んでしまったから感覚が麻痺してしまっているが、まくらのことを『まくらさん』と継承不略で言うのって、一般的だったっけ。ひかる以前は、覚えがないなぁ。

擬人化による存在の尊重。くまちゃんに至っては、おやすみとおはようを言う相手。絵本の中で、水面に向かってぼんじゅーるする名場面があるが、つまりくまちゃんの家には鏡が無い。まくらさんは、最初対話の相手だったのかもしれない。

眠る為だけの、或いは抱き付く為だけの道具。基本的には暖も凉もとれない。ふんわり。ふかふか。もふもふ。それだけ。

じゃあ、まくらさんの歌は、ないものか。さんづけされて、擬人化された。ぼくはくまの歌詞だって、そんなに明快な意味はない。ライバルがエビフライだという理由が「毛並みの色合い」だなんて、知らなきゃわからない。我々にも知らない情報がたくさんあってのあの詞だ。全部わかってしまってもつまらない。

ならば、まくらさんで幾ら私的な歌を披露しても、大丈夫ではないか。まくらもかまくらもあったかい、とか、まくらさんにうもれておさきまっくら、とか何でもいいじゃない。ある意味それも、ぼくはくまの立派な続編と言えるだろうて。