無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

俺だって言いたいよ

今日はイチローの誕生日か。42歳おめでとう。来年も期待しています。今年は、特に打撃は酷かったみたいだが、チーム最多出場選手になったのかな。彼の最も偉大な美点は技術や走力ではなく試合に出る事である。グラウンドに立たないと始まらない。当たり前中の当たり前だが、それを15年間メジャーリーグで、となると話が違う。最高峰かつ超長期間。スケールの違いは何気ない事をも異様にむつかしくさせる。

うさぎとかめではないのだが、愚直さもまた才能だ。少々センスに乏しかろうが才能に恵まれていなかろうが、出続けたら勝ちである。私はそういうのが好みだ。だって、まだ生きているんだからね。

例えば、たった今から私が死ぬまでヒカルが何の情報も与えてくれなかったら、私にとってヒカルはたった今死んだと位置付けても何も変わらない。「何の情報も与えてくれない」事態が非現実的だからなかなかピンと来ない話だが、本当に一切何も無ければ、そうなのだ。私が彼女の友達なら自分から連絡を取ってみればいいのだが、そうではないので。ので。

そういう意味で、出続けて貰いたい。なぁに、情報と情報の間の空白は何秒だろうが何年だろうが構わない。出て、引っ込んだら、またいつか出てきてくれればいい。

どうしても、作り手として、沈黙を守りたい時期がある。それはわかる。でも、ヒカルにそれは必須ではない。そのバランスはよくわからない。メッセの数を考えると、Distanceを作ってる最中でもメッセは頻繁であった。Deep Riverを作っている時に急に減った。EXODUSなんて5ヶ月何もなかった。

今思っても、あの5ヶ月がいちばん長い。この5年なんてそれに較べればどうという事もない。一応、夏場にDVDのリリースはあったのだが、録画を見直したみたいなライブレポを書いた私にはそんなに大きな事ではなかった。記憶の確認作業みたいなものだ。いや、それは確かに私個人の都合か…。

便りのないのはよい便り、なんてウソである。よくない便りでもいいから声を聞かせてと叫ぶのが人のワガママというものだ。内容なんて、どうでもいいのだから。カレーを零しただけの報告だって嬉しいものだ。


でも時代は変わった。ネット黎明期は、出来るだけ誤解されないように、丁寧に説明しようとするのが作法だった。今は、何を言っても揚げ足をとられるのだから、嫌われないように振る舞って、余計な事は喋らない。これでは、実生活、実社会と変わらない。市民権を手に入れると共に、失ったものは大きい。

またヒカルが言いたい事を言える、伝えたい事が伝えられる時と場所は生まれるのだろうか。そうなったら、(今と違って)遠慮無く言えるようになるよね、「早く更新してくんない?」って。

…今の時代の空気では。黙っているのが金だから、ワガママを言いづらいのだ。何かいい方法は、ないものかね…。