無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

話のテーマをぐぃっと捻った。

げいのうじんが公人扱いされる理由はおおざっぱに言って2つある。

ひとつは、ゴシップを扱うマスメディアの都合だ。誰かの発言や行動を公的なものとして扱えるなら、プライバシーへの配慮が極端に簡素化され取材が格段にやり易くなる。また、それによってメディアは言動を広めた責任を問われづらくしている。本来ならば、報じるかどうかの取捨選択の責任は彼らが取らなければならないのだが、そんな風にテレビに出ている人が発言する機会は少ない。まとめると、げいのうじんをメディアの隠れ簑と盾にする為に彼らを公人扱いしているのである。

もうひとつは、電波の寡占と販路の独占である。特にテレビはこの点突出している。電波は公共物なので、それを商用利用するにはそれなりの社会的責任が伴う。その為、テレビに頻繁に出る人間はその普段の言動にも責任を持つべきだという考え方だ。この話と販路の話は入り組む上あまり感じのいい結論を導けないので省略しよう。ただ単に、もっと開かれていれば質が向上する可能性がある事を指摘するに留めよう。


以上から、ヒカルがメディアと接する場合、その都合に振り回されない事と、既存の電波と既存の販路とは距離を置く事、などが注意点として導かれる。

驚いた事に、ヒカルは既に販路に関しては実験を行った事がある。「点」「線」について、彼女は通常ではない取次を通じて書籍を全国発売した。宇多田ヒカル知名度ありきの思い切った方法論だったが、今後はプロモーション活動に関してもそのような実験性を持ち込む事が期待される。

とはいえ。肝心のレコードに関してはUMGのEMIレーベルと世界契約を結んでいるので、こちらは既存の販路を利用する事になる。こちらについては、販売網として寡占が成立しているかは判断が難しい。日本以外の国については私は全くわからない。日本国内についていえば、UMGの利用している販売網を使わない選択をしてもただコストが上がるだけでメリットは薄い。

もう誤解は解けているだろうか、CDが配信に較べて価格が高いのは、材料費や配送代がかかるからではない。そんなものは消費税の増減で吹っ飛ぶような値段でしかない。その値段の殆どはレコード会社の制作費と宣伝費の回収である。それをよしとしないAppleが強気に出て配信の価格を下げさせデファクトスタンダードとなった、というのが実際の歴史だ。

しかし、レコード会社も黙ってはおらず、DRMフリーを口実にして配信の単価を上げる交渉をし、日本では諸外国に類をみない1曲250円という高価格を実現した。12曲買うと3000円。CDを買うのと変わらない額だ。いやはや、交渉事というのはわからないものですな。

というような経緯なので、ヒカルが新作なり新曲なりを出す時に独自の価格設定をしてくる可能性は殆ど無い。

抜け道としては、海外の配信サイトに登録してそこから購入するという手法がある。法的にはグレーなので一切オススメしないが、iTunesStoreなどはアメリカのアカウントをとるのに適当な住所さえ入力すればOKだった、などの記述が昔はあった。今は知らんけど。

兎に角、日本のコスト高は縮小均衡の成れの果てである。アジア諸国でも各国盤でヒカルの新作がリリースされるだろうが、昔当欄で書いたように一定期間(年単位で)輸入禁止措置がとられているので暫くは入手困難だろう。

ただ、その代わり、ヒカルが世界契約を結んでいる為、日本が独占先行発売となる可能性が非常に高い。いやほぼ確実である。EXODUSは米国に較べて1ヶ月早くリリースされたし、フィジカルに絞ればThis Is The Oneは2ヶ月先行発売だった。多少高価でも、年齢層の上がったヒカルファンなら躊躇わずに従来通りの価格で購入するだろう。結局、新しい販路を開拓する理由は無いだろう。


なんだか堅い話になったな。次回はもうちょいくだけたテーマでいきたいもんです。