無意識日記々

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影が薄いという私の勝手なイメージ

イタリア人と結婚してロンドンで過ごすクリスマスってどんなんなんだろね。特に際立ったところもない、普通の日なのかな。

何の情報もないけど、なんとなく相変わらず影が薄い気がする旦那様。Hikaruの場合前夫が一緒に仕事をする人(同じ作品に並んで名前がクレジットされている人)だったので余計にそう思うのかもしれない。宇多田家といえば家族まるごと音楽家、なんていうイメージもあるから余計にな。

それこそ余計なお世話であってな。結婚しても仕事と無関係なケースが世の大半を占めるだろう。出産育児となるとまた別で、そちらの経過次第ではこうやって仕事(レコーディング)の日程にも影響する。

ヒカル本人は、「発売時期はあクマで制作上の都合で決まり、プライベートは関係無い」という風に言うのだろうか。これが2人め以降の子育てだとまた違うんだろうが、初産・長男となると…緊張してるんだろうなぁ、なんて妄想する。

一方で、子守歌かどうかはわからないけれど、週刊誌では子について歌った歌についての記事が出ていて、それは何の情報もなくても想像してしまう類の構想だけれども、一方で夫とラブラブな歌は作らないのか、という疑問もこちらにあったりするんだが、それは何故か「何の情報もなくても想像してしまう類の構想」という感じがしない。やっぱり夫の影が薄い。

2度目の結婚だから、とかもう30代なんだし、とかいった理由で初々しさの無さの説明をしてしまうのも可能かもしれない。確かに、我が子に対して歌うより特定のパートナーに対して歌う方が感触が生々しく扱いづらい、というのもあるだろう。実際、前回の結婚の時に新婚旅行で作った歌は別れの歌("COLORS"な)で、新婚感微塵もなかったし。

そういうキャラクターとしてのイメージの積み重ねが今の状況を生んでいるのかな。顔写真出ちゃってるのにでしゃばったりしないのは、それはそれで好感を呼ぶ一方、どうなってるんだろうという疑問もまた出てくる。誰か有名人が「お相手は一般の方です」といって結婚した場合、顔写真一枚も無い事が多い。そこがちょっと違う。もっとも、隠したとしてもすぐにどこかで写真撮られちゃうかもしれないんだけど。

まぁそこは、アルバム完成するまで待つか。きっと制作の謝辞(Special Thanks To)に名前が載るにちがいない。それで十分な気がする。でもせめて普段の愛称位は、知っておきたいかなという気はしてます。