無意識日記々

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歌詞のテーマについての話の前に

京アニの冬クールの新作アニメが凄い。当代随一の技術力を駆使して30分間何をするかといえばひたすら乳を揺らす。それだけだ。設定もストーリーもキャラクターも今のところ何の新味も無く、ただ作画力が高い乳が揺れ続けている。こんなんで売れるんだろうか。いや、秋クールはおそ松さんが大ヒットしたのだから世の中何が起こるかわからない。ただ、今やもう各アニメスタジオの実力が拮抗してきていて如何に京アニといえど作画だけで圧倒できる情勢ではない。もう一押し何かあればよいのだが、たぶんこのまま3ヶ月間乳を揺らして終わる気がする。

馬鹿々々しいって麗しい。意義がない。意味もない。本当にそれだけ。勿論意義や意味を見いだせるならそれはそれでよいのだけれど、馬鹿々々しいだけのもので人を惹き付けられてこそ真のエンターテインメントだ。

「それが何の役に立つの?」「何の意味があるの?」「で、何なの?」と訊かれる場面は多い。これらは別にそういった観点について本当に興味があるのではなく、「つまらなかった」の婉曲表現である。膝を叩いて楽しめたならば、人間、それが役に立とうが立つまいが気にしない。

毎度言っている事だが、歌をヒットさせる為には何らかのストーリーが付随している方がいいし、歌詞にもそういったメッセージ性があった方がいい。しかし、そういうのから離れて作品としてただただ魅力的たりえるかというのがまず最初に訊かなければならない事柄である。ストーリーは後からくっつけて売上の足しにするものであってそれがメインだと錯覚し始めるのはまずい。

毎度のように、周囲はヒカルの復帰にあたって様々な物語を付与し始めるだろう。年中それやってる私がそれを言うのもおかしな話だが。やれ藤圭子の死から何年だのママになっての再出発だの国際結婚の経緯だの本格的歌手の復権だの邦楽市場の活性化だの言える事は幾らでもある。更にEVAのタイアップまで抱えているせいで他所様の物語にまで介入して一端を担う始末。ヒカルの活動は意義と意味に満ち溢れている。

こうなると、いよいよ「馬鹿々々しい事」で人を楽しませるのは難しくなる。ヒカルが歌う度に幾らかの人たちが難しそうな顔をして語り始めるのだ。辛気くさい事この上ない。…悪かったな。

そういった枷から全部逃れて、接した人が「くだらねー」と言いながら皆笑顔になるような作品を作れるかどうか。ヒカルは誰よりもシリアスな作風で知られているが、なんだかんだで音楽はただのエンターテインメントである。それで誰かを励まして色々な人たちの人生を変える力があっても、それはあクマで嬉しいオマケであって目的をそれにするとろくなことがない。ただ聴いた人を楽しませる。それだけの事がいちばん難しい。ヒカルならやってくれると信じていますよ。