無意識日記々

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心の準備にやたら時間のかかる奴

さて、そろそろ年度末だ。来週を迎えるにあたり緊張しないように自分を仕向けている。桜流しから数えても3年半ぶりの新曲なのだから。できるだけ自分を、ゆるくする。

走り出したら暫くは止まらないだろう。特に何をするでもないが、それは気ばかり焦らせる。どうという事はない、どうという事はない。


アイアン・メイデンのスティーヴ・ハリスがステージで滑って転けたというどうでもいいニュースがブラバマウスに掲載されていた。ご丁寧にその瞬間を撮影したファンによる動画まで埋め込んで。そちらはどうという事はないのだが、それ以上取るに足らない出来事を書いた後に生まれた隙間を埋める為に引用されたインタビューを読んで考え込んでしまった。これから先、引退や解散はどうなるか、バンドをやっていない自分を想像できるか、等々。

彼も今月の12日で60歳になった。来月には8年ぶりの来日公演がある。震災が影響しているのだから単純計算に何の意味もないが、次が8年後だったりしたらもう日本にはやって来ないかもしれない。日本での人気は大した事が無いのである。切り捨てられても文句は言えない。寧ろ来月、日本公演の後の中国公演の波及効果の方が命運を左右するかもしれないのだ。

つまりだ。事によると。来月の公演が、私があのバンドを観れる最後になってしまうかもしれぬと考えた訳だ。一生、である。無論その可能性は低いが、徐々に現実味を増しつつある。いつも、ブルース・ディッキンソンの操縦するジャンボ・ジェット、エド・フォース・ワンが墜落したら伝説になるなと想像しては打ち消している。それでなくても、来月の来日公演すら無事に行われるかわからない。


考え始めたらキリがない。


しかし、考えてしまうのである。もうそう多くはない、と。


ヒカルの方はまだ33歳だ。ソロシンガーだ。解散なんかの心配は要らない。まだこれから30年やったって不自然ではない。私の方が年上だから、心配自体馬鹿馬鹿しいのかもしれない。それでも、もう17年が経ったのかと考えてしまう。

ついついがっつく事を考える。すわ、一挙手一投足一つとて見逃すまい、と。それがもしかしたら"自然"なのかもしれない。でも、ゆるく行きたいのだ。ただただ楽しめれば、と思う。

未来を考えても仕方がない。来週の事さえ見えていないのだから。ただ、なんだろう、たとえこれから50年続こうと、「もうそんなに多くない」「もうそれほど長くない」という感覚がつきまとう。それ位に最初の12年が濃密だったのだ。

ヒカルが何を持ち出してくるか。テーマである。生きるテーマ。それさえ見れれば晴れる。いつわかるのか。わからない。

結局、あの圧倒的な優しさにまた包まれてみたいだけなのかもしれない。でも、そうなってみないとわからない。


冗談を言う準備だけ、しておこう。いつもセンス・オブ・ユーモアが足りないと自分自身に対して思う。当意即妙な切り返し。憧れる。できたらいいな、と思っている時点で頼りない、情けない。脳味噌の歯車の位置をいじくりまわしながら、宇多田ヒカルの呟くジョークへの準備だけは、しておこうと思う。それ以外はただただ起こる事に驚き、戸惑い、あたふたしながらついていこうかと。もう若くないなと痛感するさ。