無意識日記々

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きもちのひだまり

期待はしている。しかし何かを託す気はない。何かを変えて欲しいとも思っていない。ただ、歌って欲しい。それだけだ。そして、それを『仕事の話』だとヒカルは言う。俺は彼女に「働け」と言っているのか。そうだな。

この10年は、ライト・ファンがコア・ファンに負け続ける10年だった。アイドルの為に、アイドルの為に何十万円何百万円とつぎ込む。アニメの円盤を買い漁るガチ勢。印籠のように繰り出される「経済を回してるわだ」の決まり文句。愛情や拘りの深さが、悉く数値化されて、軽くて吹き飛ぶものは総て駆逐されていった。

安心してください、ヒカルさんは、そういう人を求めてはいません、きっと。「DEEP RIVER」の頃から言っている、「何の気なしに聴いて気に入ってもらえれば」と。そういうスピリットでずっとやってきた。同じCDを5枚も10枚も買うような輩に用は無い―(…悪かったな、10枚はないけど5枚は幾つかあるわ…)。

なので、数字としては多分負けるだろう。普通に計算して勝ち目はない。ライト層の多くがタダに慣れた。今更音楽になんぞ金を使うものか。でも宇多田の歌は悪くない。そんな人、歌が気に入ったなら、東北の復興に力を貸してみませんか。ふむ、危ういまとめ方。

それがU-turn Projectの一端だが、今のところ表立って叩かれてはいない。このまま行って欲しい。


今週の私は、どうやらその「ライト・ファンのスタンス」にアジャストしようともがいていたようだ。なるほど、あほっぽいツンデレと申しますか。5年以上待ち焦がれていたのに「いや、どうという事はないよ、WILD LIFEやIn The Fleshもリリースされたし、桜流しは素晴らしかったし、ラジオは一年続いたし、First LoveにLuv Liveまでついてきたし、井上陽水は相変わらずお元気だったし、この5年も案外盛り沢山だったでしょ。」という顔をし続けてきた。

で、何かが変わるのだ。何かを変えて欲しいとは思っいないが、ヒカルが復帰を果たす事で、何かが確実に変わる。それが何なのかはわからない。直感だ。

誰かの目を覚まして欲しい訳でもなく、誰かの鼻をあかして欲しい訳でもなく、誰かの溜飲も下げなくていいし、何の代理戦争に貢献する必要もない。歌ったら歌った分だけ、変わる。それが出来るならこの5年は肯定である。成果。それはさりげなく見られるだろう。

何もかも削ぎ落としてシンプルに、新しい歌を期待する。後の事は後の事だ。4月4日だけでも、過去のヒカルを忘れられたらなと思う。しかしそれは叶わない。少しでも純化した「今」を、取り戻そう。ふわふわ、ひらり。桜が満開になるまで、あと少し。