無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

新曲2曲聴いたよ。1回ずつね。

歌い出した瞬間、身を襲った感情は「恐怖」だった。歌が上手すぎる。"怖いくらい"に上手すぎる。もう歌い出しだけで圧倒されてしまった。もう、ごめんなさいm(_ _)m

元々日本語を歌わせたら並ぶ者は居ない、居るとしても美空ひばりくらいだろう、と言われて(というか俺が言って)いたが、最早孤高を通り越して異次元別次元高次元の世界だ。本当にもう、誰もいない。

単純なテクニックでいえば石川さゆり中丸三千繪の方がずっと巧い。いや勿論彼女たちとブラック・ミュージックのカバーで競えばヒカルの方がずっと巧いけれども、もうそもそもそういう矮小な勝ち負けの話ではなくってだな、「日本語の歌で表現できる領域の限界を押し上げている、打ち破っている」領域に居る事が圧巻であり、恐ろしい。総ての日本語の歌詞を作り歌う人たちは是非々々耳を傾けるべきだ。ヒトは、ここまで出来るのだから。

とはいうものの、「参考にしてください」とは口が裂けても言えない。裂かれたらどのみち言えないと思うんだけれどそれはどーでもいいとして、異様な音符の運び、異様な音節の乗せ方、しかしそれでもひと流れのメロディーとして成立してしまうというグラスファイバーの上を綱渡りするような神業ぶりに恐怖を覚える。いや、ここまできたら悪魔の所業だな。

2曲。配信ジャケットを思い出して欲しい。『花束を君に』が横書きで、『真夏の通り雨』が縦書きだ。ここからシンプルに演繹するなら、『花束を君に』は曲が先で『真夏の通り雨』は詞が先なのではと推察できる。一度聴いてみた限りだと、後者は確実とみる。歌い出しが『誰』であって、ヒカルがほぼ初めて日本語の歌を歌詞から書いた曲が『誰かの願いが叶うころ』であった事を想起するならば、明確なシグナルであると捉えたい。

一方の『花束を君に』の方は、メロディーとしての成立具合からすれば曲が先と言いたいところだが、歌詞の乗せ方がこれまで以上に異様、いや異形なので(実際に歌ってみるといい、とても歌えたものではない)、そう断言できるには至らない。もっと複雑な作詞作曲過程を経た可能性もある。すぐに世に出るとは限らないが、『花束を君に』に関しては英語詞バージョンが存在する可能性も出てきた。そちらには全く別のタイアップをつける可能性も考え得る。いや、世に出るかどうかも、実在するかどうかさえまだわからんのだけど。


しかし、2曲とも売れねぇだろうなぁ。特に10代相手には厳しい。Stay Goldのような曲なら或いは、だが、タイアップからして高い年齢層が相手だからまぁそれはいいか。大人はみんな買ってください。大した額じゃないんだから。

涙色。そして、自由。まだ一度聴いただけなので歌詞はうろ覚えだが、間違っててもいいから第一印象は書き留めておきたい。次回のうちに何とか書ききってしまおう。朝ドラなので、毎日物語が進んでしまって大変なのである。