無意識日記々

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雨の日に 同じく流れる 雨の歌

花束を君に』の威力は凄いな。私まだ三回しか聴いていないのだがもうメロディーが頭の中を周り続けている。即効性が高い上に持続力(※永久)も甚だしい、中毒曲である。花束に毒針のひとつでも仕込んであるんじゃないかと悪態のひとつも吐きたくなる位だ。

でも、売れないよねぇ。前作の「あさが来た」の主題歌は、老若男女誰にでも口遊める、いうなれば"校歌タイプ"の歌だった。いや、ところどころ面白い音符の動きもあるのだけれど、基本的には、ね。しかし、『花束を君に』を自分らで歌うとなるとハードルが高い。もう幾つか「歌ってみた」動画がアップロードされているようだが、まだひとつも見ていない身として言わせてもらうと、まず音符通りに歌うのが難しい。そして、このメロディーでヒカルと同じ表情を出すのがもっと遥かに難しい。希有な歌声が神髄を見せている。もうそろそろ唯一無二と言っていいだろう。いやはや、みんなどんどん歌ってみて欲しい。この歌の素敵さと歌手宇多田ヒカルの偉大さの両方を痛感出来る筈だから。


…おや、今回の2曲のミュージック・ビデオがハイレゾ音声で楽しめるかもしれないのか。それは朗報。しかし店頭用という事で、今のところ普通に手に入れる事は出来ないのかな。残念。続報を待ちたい。


閑話休題。今日ある曲がラジオ(の録音)から流れてきたイントロにふと惹かれた。「あれ、ヒカルの新曲か!?」と一瞬錯覚するくらいに鮮烈だった。「いや、そんな筈はない。2曲ともどんなピアノかもう判明しているし、そのどちらとも違う」とすぐさま思い直したが、程なくして聞きなれた声が流れてきた。嗚呼、荒井由実の“雨の街を”、か。ひこうきぐもの頃の曲。松任谷由実はやがてJ-popの下地を形作るいわば邦楽市場の女神のような役割を演じるが、なるほど、古参ファンが荒井由実時代に拘るのもをかる気がする、瑞々しく乾いていて、ピュアでフラットだ。若い頃ならではのナイーヴさがギリギリのところで表現に昇華している。確かに、違う。

で、気がついたのだが、つまりピアノの音ってシンガーソングライターにとっては強烈に“雨”を連想させるのだな、と。桜流しもそうだし、真夏の通り雨もそうだ。シンプルだが、真実である。フルコーラスで聴いたら、花束を君にでもどこかで雨が降っているのかな。これは楽しみがひとつ増えた。


とと姉ちゃん面白いな。西島秀俊だっけ? とと役の人。彼の説得力でこの半年の方向性が決まる訳だが見事なものだ。始まりと終わりの狭間で交わす約束がどんなものか、今週はじっくり見させてもらう事にしよう。思っていた以上に、歌とドラマの繋がりが深そうだ。