無意識日記々

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普段から

歌詞の踏み込んだ解説を始めると確かアクセス数が落ちるんだったか。確かめてないけども。多分、技巧的で他文を参照しないといけないのでいったりきたりな読後感の後味が悪いのだろう。たまにはスッと入るような解説を書きたいものだ。

が、ヒカルの歌詞は常に立体的、超立体的だ。3次元的、4次元的思考が求められる。そもそもそれを1次元の文章で表現しようとするから無理がある。ドラえもんの線画を数式で書き下すようなもので、確かにそれに沿って描けばドラえもんが現れるがぱっと見は何の事だかわかんない、となりがちだ。漫画でも書けるスキルがあれば違うんだろうけれども。

言ってても仕方が無いので今出来る事をする。話を逸らして一息ついてみるわ。ずっと技巧的でも息が詰まろう。いや、本音は続きが書きたくて仕方がないんだけどなっ。やっぱり『光』は素晴らしい…。


さて。新曲のプロモーションはかなり落ち着いてきた感があるが、いつもと違うのは、新曲が毎日テレビから流れてくる事だ。これって本当に大きいねぇ。予想していた事とはいえ。真夜中に『真夏の通り雨』を聴くと、「嗚呼、今日も1日が終わろうとしている。泣く人、笑う人。日本中で色んな事があったんだろうな。』と感傷的になる。なお、最近『立ち尽くす見送り人の影』の部分まで行かないのは、本当に近しい人を亡くした方々への配慮なのかもしれない。或いは、見送り人という一言の時に画面に映る人への配慮か。いずれにせよ、ますますカットアウトで一日が終わってゆく。

花束を君に』はもっと徹底している。アバンからの歌なので、小橋家の行く末を、ヒカルも視聴者や檀ふみと一緒になって眺めながら歌い出すみたいな雰囲気になっている。パブロフズ・ドッグ効果も抜群で、あの歌が流れてくると画面を見なくても自然と切り絵が浮かんでくる。暮しの手帖っぽいんだよねあれ。私の場合夜視聴だが、一日のリズムの中にこの歌がしっかと組み込まれている。嗚呼、どう足掻いても朝ドラ主題歌だこれは。

「ドラマはつまらないけど主題歌が素晴らしいのでその為に観ている」という旨のツイートも幾つか見かけた。殿、チャンスでござる。そうやって観てもらってるうちに面白くなっていけばいいのだから。26週、156回の長丁場。書き手も書いているうちに成長する。朝ドラのリズムがわかってくればまだまだいける。まぁ、だからって高視聴率をとって欲しいかと言われたら、ほどほどにしといてくれ、と思うけど。身の丈に合った評判がいちばん有り難いんだわ。ドラマの作り手になった事がないから、あクマで想像だけどさ。

歌詞がどちらに転んでも、メロディーの美しさは揺るぎない。40回も聞かされれば、歌詞にリアリティを感じられなくなっている日も出てくるさ。でも、メロディーは変わらない。リアルそのものだから。パブロフズドッグを通過し、今後来る倦怠期を通過し、そのうち次のヒカルの新曲に話題を奪われたその後も変わらず同じ美しさのままこの歌のメロディーは奏でられ、テレビから流れてくるだろう。その頃の感慨を想像するだけで身震いする。もう二度とないかもしれない“ヒカルの歌が毎日テレビから流れてくる日々”を、存分に、こころゆくまで味わっていきたい所存でございますm(_ _)m