『光』と『Simple And Clean』の2曲、「僕」の言う事は正反対と言える程違うのに、結論はかなり似ていたりする。というか、明確な対比というよりは、様々な立場が絡み合っているというべきか。
『抱き締めてよ
この朝を超えて何が起こるかわからない
けどそれはまだちょっと先の事
予感なんて気にしない
未来なんか怖くない
昔の私とはもう違うんだから』
あーここも難しい。明日訳したら以下略。『光』で同じメロディーの場面はこうだ。
『もっと話そうよ
目前の明日の事も
テレビ消して
私の事だけを見ていてよ』
なんか、大体同じなんだけどちょっと違うというか。このびみょ〜な差異を前にして、似通った部分をピックアップするか違っている部分を拾い上げるかで曲に対する印象は大きく変わる。
『明日』に対する取り扱いが難しいんだ。それは漠然とした未来の方に分類されるのか、今と地続きな時間を指しているのか。『Simple And Clean』の方は夜が明けたら何が起こるかわからない、と歌っているように聞こえ、『光』の方は何かまた今と同じような幸せが訪れると確信しているようにも思える。『僕』の方が『わからない』と言い切っているのとは対照的に。
『Simple And Clean』の、何が起こっているかわかったもんじゃない明日と、『光』の『目前の』『明日』。同じ時同じ言葉が同じメロディーで違う意味を持つというかなりややこしい事態なのな。やれやれ。
『花束を君に』には『今日は贈ろう』、『真夏の通り雨』にも今日と明日が出てくるが、もともとあるヒカルの『今日明日観』がどういうものかを把握しないと、なかなか真意をはかるのは難しい。勿論歌詞なので、各自が己のストーリーを作っていけばよいのだけれど、あなたがヒカルの心を知りたい、というのなら、こういった昔からの言葉の使い方に敏感な必要がある。でも、御覧の通り、整理するだけでも大変だ。ぼちぼち参りましょう。