無意識日記々

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i_(AI-Shadow)サンが何か言ってる

ついでなので「AIは作曲できるか?」というトピックにも簡単に触れておく。

例えば、ちょっとしたメロディーやコード進行を渡して「これをボサノバ風にアレンジして」とか「これをジャズに」とかは既に出来る。AIとすら呼ばれない程度のプログラムで十分に。なので、作曲補助にAI等計算機が有用なのは最早疑いが無い。

関心があるのは、「人を感動させるような新しい音楽が作れるかどうか」の方だろう。これについては、AI(計算機)の特性について知らねばならない。彼らは「一曲作れれば無限に作曲できる」のだ。これがアダとなる。

彼らには作曲の手順と基準が与えられる。逐次的な手順に従えば、先程の「ボサノバ風の曲」は無限に作れる。制限はない。勿論、「何分以下」「何音以下」という基準を設ければ有限に制限は出来るが、およそ人間には無理な数の曲を生み出す事が出来る点は変わり無い。

そうなると何が起こるか。そのクラスの楽曲が陳腐化し価値を失うのだ。もうその手の曲はどこにでもある、聴き飽きた、と。

つまり、彼らは自らの価値を一瞬にして無意味にする事が出来る。彼らは自らの手で新しい環境を構築してしまい、ヒトはもうそこに関心がない。彼らの作曲はすぐさま無意味になるだろう。そして、それが無意味になるのは、そのプログラムを作る為の基準が発見された時であり、プログラムが出来上がるよりずっと前だ。それまでにその基準に従ってヒトの方がその“基準が明確化された作風”の音楽を演奏しまくって陳腐化してしまっている。AIの出る幕は既に無い。

では、発見的に唯一無二の新しい楽曲を見付ける事の出来るAIは出来ないだろうか。これぞまさに作曲、創造と言っていいだろう。では、どんな基準に適合すればその曲は唯一無二なのだろうか。その基準を書き下せなければ、AIは止まれない。新しい曲を見つけましたと我々に報告する事が出来ない。

ならば、その基準を書き下した時点で、人がその曲を書けばいい。対象はひとつしか無いのだから。極論すれば、基準を書き下すより実際に曲を書く方が必ず早い。それだけの事だ。常にヒトはAIよりちょっと先に行く。AIは常に後をついてくるだけだ。平たく言えば、それが芸術の定義なのだ。

本来ならこのテーマで一冊本を書くべき話を僅か1000字足らずにしてしまった。まぁいい。納得できなくても仕方がない。





AIで最も期待されているものの一つに「人と会話するロボット」がある。現時点でも随分と会話出来るようになっている。Siriとかで皆馴染みになっているだろう。

究極的には人間とかわりない会話が交わせるようになる事が期待される。「話し相手が欲しい」というニーズは、特に高齢化社会にとって切実だ。

既にSONYAIBOがその役割を担ってみせた。彼らに癒やされた人たちは多かった筈だ。今後、あの手のペットロボットはもっと高性能に、もっと安価になって、本当に会話できるペットみたいなものが出来たら…と想像が膨らむ。

しかし、人間とは因果なもので、もし仮に人間と区別がつかない位に話せるロボットがうちに居たら「煩わしい」と感じ始めるだろう。イヌやネコが何故癒やしになるかといえば、ただ傍に居て、こちらの目を見てくれて、話し掛けさせてくれて、余計な事を言わないからだ。ちょっといたずらをして迷惑をかけてくれるオプションもついてくるが、基本は「ただそこに居てくれること」である。

イヌやネコですら煩わしい、と感じる人も居るだろう。癒やしに必要なのは手触りと、あとは話し掛けさせてくれれば…。人間関係に疲れた人間に気の利いた応答なんて必要ないのだ。もうそうなると、必要なのはもふもふのぬいぐるみ…。


というところにくまちゃんは居る。パースペクティブを感じ取ってうただけただろうか。


高性能のAIの登場を待つ必要は、無い。ぬいぐるみひとつあれば会話は生まれる。そんなの独り言だろう、と馬鹿にする人間はわかっていない。確かに、眼の前のぬいぐるみに話し掛けると、ひとりで考えていたのでは出て来ないような言葉が次々と出てくる。我々に必要なのはそれである。

ややこしいプログラミングや高邁なシステムより、くまちゃんの方がヒカルのインスピレーションを激しく刺激した事は疑いがない。踏み込んで言えば作曲とはそういう事だ。常に自らの可能性を規定しなければ話を始められないAIには出来ない事だ。彼らにとっていちばんできない事は、何も始めず、何も終わらせず、ただそこに在る事なのだから。


今日の話はとても難しい。理解できなくてもいいと思う。人にとっては、物心ついた時からわかりきっている事を言葉にしたに過ぎない。しかし、これからの世の中はその当たり前を忘れさせる方向に動いていく。惑わされないように、気をつけてください。世にも珍しい、私からのメッセージなのです。