無意識日記々

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時々主役の出ない回ってあるよね

イチローが大リーグに移籍したのは2001年。当時はまだまだWebニュースという形態も盛んではなく、特にスポーツ方面はネットとの絡みが遅れていた(今や世界中の試合が生中継で観れたり観れなかったりするが)。まだまだ主だったメディアはテレビやスポーツ紙・スポーツ誌だった。

そういう、それなりに権威づけられていたメディアの記者たちはこぞって「イチローは大リーグで通用するか」というテーマについて語り書き立てた。しかし、そのどれも、私個人の予想より評価が低かった事を覚えている。パンチョ伊東氏ですら、だな。あの人かなり盛る人(また髪の話して…ないぞ)だったんだけど。

で、その私個人の予想というのはシンプルで。「最初から打率3割打撃10傑安打200本は堅い」というものだった。そう、実際の1年目は「打率3割5分首位打者安打242本」という成績だったので、現実は私の予想を上回った。つまり、私が目にしたどの予想をも上回る活躍を見せたのだ。如何にイチローが過小評価されていたかがこれで(ちょっとだけ)わかるというものだろう。日本のパ・リーグで無敵の7年連続首位打者を獲っていてもこうだったのだ 

また、日本人は、やはり日本のリーグはアメリカの大リーグに劣ると思っていたのだ。既に野茂や佐々木が投手として活躍していたにもかかわらず。

そう考えると、日米通算記録を云々というのは「どの口が言うか」という気がしないでもない。ピート・ローズの言う通りである。何故あんなに盛り上がるんだか。新聞なんか号外も出したらしい。

という20年来のイチロー・ウォッチャー…でもないか、94年からぼちぼちイチローのプレイを見ている人間としては、4256安打と4257安打がどうのというより、その日5打数で2安打打ったというニュースの方が嬉しかった。あとから動画をチェックするのが楽しみで。彼のヒットは一本々々が興味深い。様々な条件の中で如何にしてヒットをクリエイトするか。その創意工夫と、その結果として生まれる美しさが、この20余年変わらぬイチローの魅力である。他のバッターはヒットを「無理矢理にでも作り出す」という情熱に欠けている。(私個人が)彼しか見る気にならないのはそのせいだ。

記録で盛り上がるのは誕生日を祝うようなもので、ただ節目だからだ。本来価値があるのは日々の1つ1つである。誰しも毎日生きている。今日という日を生きている。今日を生き切らなければ明日は来ない。ずっと寝て過ごしてたっていいさ。それで明日が迎えられるなら。

それでも現実は非情だ。ある日突然断たれたりする。毎回次の記録、次の記念日を目指すから頑張れる。しかし結局、日々を疎かにしない事が、そこに辿り着く道なのだ。祝福は後からやってくればいい。