無意識日記々

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俺、こんな作品二度と作れねーよ。

ったく、普段は謙虚めで自分の事讃えたりしねぇってのに。「私は母親似の美人です」っつったりしても違和感ねーのによ(キャラ的には違和感があるが、事実としてはな)、そんな事微塵も言わねぇ。なのにこと作品が完成した時はいつだって自信タップリだからいつも「あれれ」ってなる。こんなに尊大だったっけと。だがしかし、やっとこっちが作品を聴いたら「なんだ、事実を言っていただけか」となる。「尊大になってたんじゃない。見たままを素直に伝えたに過ぎない」と。その、ヒカルが完成品を聴いて自信満々になってから我々がその全貌に納得するまでの謎の間。理屈ではわかっていても、この期間だけはヒカルが自信家で尊大にみえる。昨日から9月27日までが、その時期だ。

それも、慣れてきたっちゃあ慣れてきたか。これから、幾つものインタビューをチェックできる。その度に『俺、こんな作品二度と作れねーよ。』という一言を目にする。或いは、思い出す。なかなか自分からは言えない一言だと思うのだが、聴いたら私はきっと「嗚呼、こりゃ他に言いよう無かったわな。」と言うだろう。そういう事なのだ。

しかし、あと9週ずっとという訳ではなく、勿論先行配信曲があるだろう。それによってアルバムの全貌の片鱗(素で変な日本語だな)がかいまみれる。それは、ある意味では『真夏の通り雨』や『花束を君に』より重要だ。これらの曲は、シングル曲として、それぞれの曲の世界で完結していればよかったが、先行配信曲はそうはいかない。どうしたって、「アルバムの予感を運んでくる楽曲」としてみられてしまう。責任重大、だな。

となるとセレクトが難しい。シングルカットとなるとどうしてもタイアップとの兼ね合いがあるのでセレクトといってもそもそも選べる余地がない、というのが現実だったりするが、それでも、例えば10年前の『ULTRA BLUE』から先行配信された『This Is Love』は完璧だった(うわ、滅多に使わない熟語を使ってしまったぞ)。アルバムの一曲目、ストレートな曲調、煌びやかでインパクト抜群なイントロダクション。期待を抱かせるという意味ではこれ以上ない曲調で「うわ、こりゃまた大変なアルバムになるな」と思ったが、果たしてまさにその予感通り、『ULTRA BLUE』は大変な傑作となった。もう10年も前の話だが。

あそこまで行かなくても、いや勿論行って貰ってもいいんだけど、そういう『予感』を運んできてくれる曲がいい。『ULTRA BLUE』からの先行配信曲が、幾らヒカルが気に入っているからといって『日曜の朝』だったりしたら、予感は醸成されなかっただろう。こういう曲は、予感に導かれて辿り着くから真髄を味わえる。風を切って先頭を走ってくるタイプじゃない。

そういう意味では、『HEART STATION』からの先行シングルが『HEART STATION』だったのは冒険どころか無謀とすら言えたが、そこからアルバム後に『Prisoner Of Love』をシングルカットしてくるんだから事前の無謀も致し方なかったと言わせられたのだ。曲が揃ってるって、本当凄い。


そんな作品を作ってきたヒカルパイセンが『俺、こんな作品二度と作れねーよ。
』とまで言うアルバムである。ハードルを上げすぎて最早走り高飛び、否、棒高飛びみたいになっていたとしても大丈夫、なのだろう。…理屈で推測は出来るのだが、実感が伴わないうちはやっぱりただの妄想である。音楽鑑賞は体験である。その日その時その場になっていないと、本当の所はわからない。CDはコピーだが、体験は一期一会の、掛け替えのないものだ。おいらもまた『震えて待て』って、言うしかないんだろうな。早く来い来い9月28日水曜日。