無意識日記々

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シン・ゴジラを、観てきたよ(4)

石原さとみといえば未だにてるてる家族の四女のままの私に彼女を語る資格なんぞないのだが、にしても今作の彼女は素晴らしい。殆ど素っ頓狂ともいえる程にカリカチュライズされた芝居の風味はまさにシン・ゴジラの核そのものだ。勿論興業主の「名のある女優でヒロインを」という要望もあったろうが、実によくやってくれた。道化。一言で言えばそうなる。ドラゴンボールミスター・サタンやワンピースの赤鼻のバギーのように「絶対コイツ最後まで生き残るヤツや」である。そういうキャラが不快な人には不快だろうが、彼女のお陰でこの物語が虚構である事をギリギリで思い出させてくれる。彼女がわざとらしく「ガッズィーラ!」と発音してくれなくては、この作品の主題である「センス・オブ・(ブラック・)ユーモア」は成り立たない。

ゴジラは、どこかユーモラスでなくてはならない。これは金科玉条である。おかしみを伴ってこその哀しみだからだ。あの、彼(性別は多分ない)が背負う悲哀と哀愁を絶妙にスパイスする、ユーモア。ゴジラゴジラなのだ。欧米人に、この機微がわかってたまるか。

ナショナリズムのふりをしてみた。他意は無い。

風刺と皮肉と諧謔と。ゴジラを通せば言えない事が言える。表現できない事も表現できる。「今の地震だよね? 今の津波だよね? 今の…」と言うのも野暮である。私は野暮なので構わない。政治にしろ軍事にしろ、真ん中にゴジラが居なければ問題発言間違い無しの台詞の数々がこれでもかと流れてくる。それを通して何が言いたいかをいちいち汲み取るという意味で、これは大人の映画と言えるかもしれない。

大人、と言っても実年齢の話ではない。小学生でも政治に詳しければ彼も彼女もシン・ゴジラを観てニヤリと笑える筈だ。要は知識があるかどうか。例えば私の場合、ミリタリネタについては素人即ち"大人"ではないので、映画に様々な兵器が出てきても「あ〜、きっとここでこれを使うのとかは見る人が見れば高度で金の掛かったジョークとして成立しているんだろうなぁ」という推察に頼った楽しみ方しか出来なかった。そういった状態が、他の要素においても有り得るだろう。そういう意味では、観客を選ぶ作品でもある。

しかし、そういった事柄以上にこの映画は、生理的なレベルに訴えかけてくるグルーヴがある。その"ノリ"を作る為には庵野秀明も手段を選ばない。次から次へと流れてくる鷺巣詩郎によるエヴァ音楽。それと交互に出てくるゴジラのテーマ。場面によっては音楽を一切除外し静かなやりとりだけで物語を進め、場面によっては音楽でこれでもかと盛り上げる。そのダイナミズム。そのコントラスト。そして熟しきった機を完璧に見計らって放たれる"あの"ゴジラの咆哮。計算し尽くされた作品だ。

よって、この作品は、そこまでネタバレを気にしなくてもよいと思われる。勿論知らないにこした事はないし、出来れば白紙の状態で観てほしいが、この作品が本当に面白くなってくるのは、2時間の構成がそれなりに頭に入ってからだろう。そこまで来て初めて、細部にまで拘った匠の技が堪能できる。恐らく、興業成績から想像できる以上に円盤が売れる。手元に置いて何度も観たくなるタイプの作品だからだ。果たして結果はどうなるだろうね。

なんて書くと「じゃあ円盤発売されるまで待つか」と言われてしまいそうだが、待った。あの、"あの"「ゴジラの咆哮」だけは大音量で聴いて欲しい。哀感とユーモアを兼ね備えた生命の慟哭が、あの一嘶きに凝縮されている。あの一瞬の為に前後の物語が配置されていると言っても過言ではない。時間があれば、是非劇場へどうぞ。