無意識日記々

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『荒野の狼』と[荒野のおおかみ]

ヘッセの「荒野のおおかみ」を、じわりじわりと読んでいる。まだ7分の1程のようで、感想を書くような段階ではないのだが、多分、これだけは言える。読み終わった後も同じ事を言うだろう、「21世紀を生きる日本のポップ・ミュージシャンが手を出していい題材ではない。」と。

ヒカルの場合、随分前からヘッセを愛好しており、それはもうデビュー前からであって、即ち結局15歳より前の時期だ。そんな頃にこんな書物を読んで、それを好んでいたとすると、いやはや、何を言えばよいのやら。

こどもが読んで面白いものなのだろうか、という疑問は大きい。私なら、自分の息子に(居ないけどな)この本を勧めるような真似はしないだろう。歳を取ってからこういうのは幾らでも共感出来るから、若いうちは若いうちしか楽しめないものを読めばいいのに、という気持ちで。止めはしないが。


荒野のおおかみ」を読んでいない人にはつまらない日記になっているな。ポップミュージシャンにとって辟易すべき要素は、不明瞭だという点だ。いつまでもぐずぐずぐすぐずグズグズグズグズとよくわからない事を綴り続ける。40秒で聴き手を始末しないといけないポップスの世界にはおよそそぐわない。もしかしたら、『荒野の狼』の歌詞と「荒野のおおかみ」の内容は、関係がないのかもしれない。ただ響きや字面をタイトルに援用したに過ぎないのかもしれない。

と思ってみたが、違う。なぜなら、『荒野のおおかみ』はアルバムの8曲目であり、次の9曲目は『忘却』だからだ。この2作は連作である可能性がある。連作として作られた訳でなくとも、結果的に連作となった可能性がある。まだ7分の1しか読んでいないが、これは直感である。忘却と言われて『荒野の狼』が「荒野のおおかみ」と無関係であったなら、それこそ驚きだ。即ち、これは気軽なポップスではない。しかし、構わない。既にその前段である7曲目が『真夏の通り雨』なのだから。確かに、ここから連なるなら、わかるかもしれない。あの絶望的なエンディングのフェイドアウトを引き継げるかもしれない。しかし、その点に関しては残りの7分の6を読んでから見極める事にしよう。

『Fantome』は作家性が前面に出た作品となるのか。特に後半は、ひたすら重苦しいかもしれない。何しろラストが『桜流し』だ。同曲が「いちばんシンプルでわかりやすかった」と言われてしまう未来が待ち受けている。本当だろうか。わからない。まずは見極めてから、ですね。

まだ情報が少なすぎる。しかし、このままだと、リスナーを大きく削り落とす結果を招きかねない。私はメタラーなのでヘヴィな音楽性は望む所だが、果たしてどれだけの人々がついてこれるのか。自分が振り落とされる可能性も考慮に入れながら、戦々兢々発売日を待つ事にします。