無意識日記々

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全過程を肯定させる価値有る一瞬

荒野のおおかみ』の最初3分の1がつまらない、というのは正直な感想だが、それはただの消費者として、読者としての視点からである。書き手としては「こうやって捻り出すのか」と非常に興味深く読める。

ここが作品としての、そして作品の評価の別れ目だろう。果たして、書き手としての興味を惹く、書き手の興味しか惹かないパートは果たして必要なのだろうか。そこである。

ここを書き切らないと次に進めなかった、残りの3分の2の「物語」が生まれなかった、という"事実"は痛い程よくわかる。ここがこうなってこうだから、というのはこういう風に書き切って初めて見えてくる。しかし、ただ「物語」を楽しみたい読者からすればそんなものは余計極まりない。レストランに食事をしに行ったら料理長が出てきて「これからお出し致します料理は…」と産地から調理法から延々解説してくれるようなものだ。それに興味がある(将来料理長になりたいなどの)人は楽しく聞けるだろうが大半の客は「いいから早く料理を出せ」と言いたくなるだろう。こちとら腹が減ってるからこの店に来てるんだ、と。

小説に対して料理と同じ態度をとるべきかどうかはわからない。ただ、今の時代の日本でそんな悠長な、冗長な所作で衆目を引こうなどとはじれったく、あつかましい。これだけ情報が溢れているのだから、肝心な所をコンパクトに纏めて提示して貰う方が有り難いのだ。であるからして、「荒野のおおかみ」を、ヒカルが題材に取り上げたからといって、誰かに薦めたいとは、思えない。しかし、読書に十分な時間を割けるというのであれば、チャレンジしてみるのも悪くない。後半の3分の2は、書き方は相変わらずもってまわっているが、ちゃんと「物語」の構成と仕掛けがあり、読み物として十分読み応えがある。ただ、最初の3分の1を読んでいないと、終わり方をやや呆気なく感じるかもしれない。そんなこんなを踏まえた上でなら、あのヒカルが気に入った作品である。読んで損はない。

個人的な作品のピーク、ハイライトは「私は、小さい低いへ…」で始まる段落かな。あそこの印象が鮮烈だった。あの場面を描く為にこの作品はあったと言っても過言ではなく、そこに辿り着く為に何十万字も要したというのはそれ自体がドラマティックだ。ここをして名作と言わしめるのであるのなら、完全に同意する。


さて、今回の『Fantome』は、そんな、「創造のプロセスの途中」の匂いがする。人によっては冗長でわかりづらいが、ヒカル自身に興味をもつ人間にとっては「この過程は必要不可欠なものだった」と納得せざるを得ない、そんな作品が並んでいる"気配"がする。

そんな中で、"日本語のポップス"としての完成度が高い曲が何曲あるかが、『Fantome』の評価の別れ目になるだろう。私としては、ヘッセの方の「荒野のおおかみ」でいうところの「私は、小さい低いへ…」の場面に匹敵するような一瞬がアルバムにひとつでもあれば"成功"とみなしたい。それは既に『桜流し』で達成されてはいるのだが(あの曲は鮮烈な場面ばかりだ)、出来ればもうひとつ、そういったハイライト、ピークが欲しいところ。『FINAL DISTANCE』を『Deep River』が迎え入れたように、『Flavor Of Life 』を上回る『Prisoner Of Life』が投入されたように、ヒカルのアルバムとなると、それまでに発表されていた看板曲と同等以上のアルバム曲があったのだ。今回それはあるのか。それ次第で8年半ぶりとやらのオリジナルアルバムの評価の方向性が決まる、いや、それで決める。ヒカルならやってくれていると思う。あと2週間、恋い焦がれて待ち続ける事に致します。