無意識日記々

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音を鳴らして貰う為に

ニューアルバム発売まであと6週間を切った。ここらへんのタイミングで総てが表立って動き出す。受注に生産、広告等が発売日に向けて具体的に調整されていく。

8年半ぶりともなると、如何にベテランの作品とはいえ不透明不確実なファクターが増えているだろう。東芝EMI時代からのチーム・ウタダは不変だが、幾らかのスタッフは入れ替わっているだろうし、"宇多田ヒカル"ブランドに対する感覚も微妙に異なるかもしれない。

何を好機ととるかは難しい。まっさらな気分で作品に向き合って貰えるととるか、名前の神通力が失われてしまったととるか。自分も、どれくらい話題になるか見当もつかない。リーダートラック次第だとはいうものの、果たして現代人は、中身を聴いたりCDを買ったりするものなのか?という根本的な所からが疑問になってしまう。

各ジャンルのファンは、いつだって元気だ。ジャズ・ファンはジャズを、ロック・ファンはロックをそれぞれのスタンスで楽しんでいる。彼らは中身を聴いてCDを買っている。そこには疑問は存在しない。あっても小さい。

ヒカルが相手にしようとしているのは、音楽を聴く習慣すらあるんだかないんだかという層だ。今や、CDを買ってくれるからといって音楽を聴いて貰えるとは限らない。購入後封を切り紙を一枚取り出してもう手もつけられない、というCDの方が今や枚数としては多いかもしれない。一度だけ取り出されて取り込まれて、でもその時にLINEから通知が来て友達に誘われて出掛けてしまったらもう永遠に再生される事もないかもしれない。そんな扱いをされる時代だと自覚しなければならない。

それを考えると、今のヒカルの作風は時代錯誤も甚だしい。それをよしとして受け止めてくれる人々にまで切り込むには、今までとは異なったアプローチが必要となるだろうが、さて。

生楽器がいつもより多く採用されているとなると、参加ミュージシャンが誰なのかという興味が湧く。それが有名人であるならば、そこから「聴いてみよう」となるファンも在るかもわからない。ヒカルは有名になりすぎて、ニューアルバムの音をまともに聴いて貰うのは至難の技だ。知って貰うだけではどうにもならない。まずは音を鳴らして貰わねば。

周知の扱い、というのをどうするか。有名ミュージシャンが参加しているとして、それを大々的に宣伝するか、こっそりと片隅にクレジットするに留めるか。あまり横の繋がりをアピールしてこなかったデスクトップシンカーソングライターがそこをどんなアプローチで来るか。そこらへんからも、今回のアルバムでどんなファン層に対してアプローチしていくかに関する方法論がどんなものなのかを推し量る事が出来るようになるだろう。8年半分の変化と不変を見極める一つの視座となるはずである。