無意識日記々

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いつからいばるはなしに?

宇多田ヒカルにライバルは居ない。それは事実なので、それでも猶考えてみる。

例えば、ヒカルがデビューした時。その頃でいえばメアリーJ.ブライジやマライア・キャリーみたいに将来はなれるんじゃないかと期待された。日本人の女の子が、ね。もしその路線を歩んでいたら、彼女たちはライバルと言えたかもしれない。ただ、今はその道を進んでいるとはいえないかな。『This Is The One』で置いたバトンを拾い直したら、わからないけれど。

或いは、国内に目を向ければ、松任谷由実中島みゆきのような、ひとつの世界を作り上げた女流シンガーソングライターの系譜に名を連ねるのを期待されたかもしれない。その期待に対しては、ある程度応えたかな? でも、彼女たちと較べて、圧倒的にLIVEコンサートの数が少ない。そこを追いついてくれば、同じカテゴリーとしてライバル視を…いや流石に歳が離れ過ぎてるかなぁ…。

浜崎あゆみの名前も出しておこう。「作られたライバル」である事に疑いはない。当人たちにそんなつもりはなかったろうし。でも、2001年3月28日からの一週間で、このたった2人の女の子だけで600万枚近いCDを売ったのは衝撃的で、実際はどうか知らないが「日本人が最も沢山のCDを(もしかしたら音楽を、かな)購入した一週間」として皆の記憶に残っている。『Movin' on without you』を通じて、ライバルとは言えないまでも、同じ時代を生き抜いた戦友としての共感みたいなものは両者に勝手に芽生えているかもしれない。カバーって、いいもんですね。次はヒカルがあゆの歌をカバーして圧倒してあげてくれても。ちょっと意地悪かな?


ヒカル自身の意識の中で、ライバルとは言わないが、目指すべき理想のひとつがP.J.ハーヴェイらしい。私がその点について未だにピンと来ていないので何かを語るのは出来ないけれど、ヒカルの場合、尊敬というより共鳴に近い感覚があるのだとすると、歳は離れているとはいえ同じ時代を生き、こうして同じ年に新作を出している、出そうとしているのだから、思い切ってライバルと言ってしまっていいかもしれない。気が向いたら、『Fantome』と聴き較べでもしてみるかな。わかりませんが。


ついでに私にとってヒカルのライバルはというと、ピンク・フロイドだ。あそこまで時代性と永遠性を兼ね備えたロックバンドは居ない。女性シンガーでもなければポップスでもない、ムサ苦しい男ども5人(3人まで減る)だが、なんというか、地球という星を全部包み込めるとしたらああいう音楽だと思うので、そういう点でヒカルに合っているというか、「原子心母」という曲があるからという訳ではないのだけれど、「母なる」という形容詞が最も似合う音楽だと思っているのだ私は。このムサいおっさんどもが奏でる音を。いや、ギルモアもバレットも若い頃の写真を見ると確かに美少年だったのじゃが。

余計な話に字数と時間を割いてしまった。いつだって、今のヒカルのライバルは2人しか居ない。過去の宇多田ヒカルと未来の宇多田ヒカルだ。今までの(名曲ばかりを作ってきたという)凄まじい実績と、今後成し遂げるであろう音楽的境地の展望が、いつだってヒカルにプレッシャーをかける。その威力を考えれば、今更ヒカルに外部にライバルを想定して拍車を掛ける必要は、ないのかもしれないな。果たして『Fantome』は、ライバルたちに打ち勝てるような強い力を持っているのか。大抵この闘いは過去に勝ち未来に負けるのが…いや、全部引き分けでいいかな。ヒカルはいつだって最高なんだから。違うか? そうてしょう? 私の言う通りですよね。どうだ、参ったか。えっへん…。