無意識日記々

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言いがかりを言う係

ん?なんだ、鬼平がアニメ化されて憤慨しているのか。いいなぁ、羨ましい。そんな感覚はもうない。総ては陵辱されて解体され得る。ある意味、無責任だから言えるのか。私も何の責任を背負う事はないが。

それを言うなら、あの「CASSHERN」に荷担した時点で因果は巡ると言うしかない。どれだけの人間が「あんなの俺の愛したキャシャーンじゃない」「キャシャーンの名前に泥を塗りやがって」と思ったか。私は勿論、あの映画の映像美は相変わらず素晴らしいと思っているしエンディングテーマに至っては文句無し、どころか控えめに見積もっても映画の魅力の半分はあの歌にあると言いたいくらいでな、つまり、結構気に入ってはいるのだが、それは私の、「キャシャーン」に何の思い入れのない人間が言っている事であって、まさにそれとこれとは関係がない。多くの人が「キャシャーン」は「Casshern」に陵辱されたと感じた、それは単なる事実なのである。

だからと言って鬼平アニメ化に物申すなと言いたい訳ではない。どんどん言え。因果が巡っただけである。

名前にどう拘るか、だ。皆さん御存知のように、原作やモデルの知名度を借りて衆目を集め全く原作やモデルに敬意を表していない作風で迎え撃つ、という現象が横行している。それはまるで、娘を強姦しながら彼女の両親を呼びつけて「お嬢さんを!僕に!ください!!」と叫んでいるようなものだ。死んでもやらんわ。というかし(ry

「オリジナルやりたきゃ自分で名前作れよ」と思う。或いは、やってもいいがその名前の許に原作やモデルを愛していた人たちの目に決して触れさせないようにしろ、と。あぁ、腹減ってるな俺。まぁそんな夜もあるさ。

とと姉ちゃん」が思い浮かんでいるのは、言うまでもなかったですかね。こちらでよろしかったでしょうか。

そういうのを考えると、「さん☆ハイ」は、クォリティーは低かったが、原作愛(やや大室多め)に溢れたアニメ化であって、つくづく恵まれていたなと。ハイクォリティーの強姦よりロークォリティーの和姦である。生まれてくる子が祝福される事は殊に尊い。しみじみと、考えさせられる。


そういうのを全部大目に見て、「名が売れたんだからいいじゃないか」という考え方もある。が、悪名が売れたら悪影響が逆流する。「極黒のブリュンヒルデ」はアニメ化されなければあんな打ち切り原作エンディングにならなかったのではという気持ち・蟠りが私の中に未だにある。無駄に名前を借りられて汚されて返される。屈辱な上に寿命が削られる。なるほど、強姦であり即ち重罪だ。

何が罪なのかは今更問わない。ただ、中身がどうであれ、今は、『荒野の狼』
が世のヘルマン・ヘッセ ・フリークたちの逆鱗に余り触れない事を祈るばかりだ。いや、Hikaru自身がヘッセ・ファンなのだから、心配はするだけ無駄なんだけどね。だから、力強く「楽しみだ」とだけ言っておこう。言えば叶うさきっと。