無意識日記々

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言い訳と気恥ずかしさと愛の話

今のところ何もなければ、無事に「NEWS ZERO」の2回目の出演が放送されるかな。前回、先週だな、あーだこーだ書いたのでほぼ「ひぁん、こいつは宇多田が見れなくて不機嫌なんだな」と誤解されているんだろうが、あれはヒカルが見れなくて怒っていたのではない。いつも通り、「地上波テレビ(の特にキー局…いや地方局もか…)は感覚が違うなぁ」と呆れていただけだ。「停電なんてローカルなニュースに時間を割くのは俺ら関東民に向けてだけでよい」と書いたのだから「ヒカルが見たかったのに残念」とかは言っていない。いや、残念でしたけどね。見たかったでしたけどね。という訳で今夜も見たいですが、それに相応しいニュースが飛び込んできたら遠慮なく差し替えてくださいな。期待はしていませんが。

昨日3週連続1位についてのツイートでヒカルが久々にアリガタビームを炸裂させた。それ自体はよかったのだけれども、何だろう、この、「33歳で子持ちのバツイチですが、ちょっと久々にクローゼットの後ろから(押し入れから、か)中学生の頃着ていた制服を引っ張り出してきて着てみました」みたいな気恥ずかしさは。いや、好物なので「やめてくれ」ではなくて「いいぞもっとやれ」なんだが、何ていうか若作りしてるみたいないきなり元気出してる感に、純粋に照れる。いや、いいんですけどね嬉しいんですけどね、アリガタビーム。なんだろう、16歳くらいの頃のメッセでお馴染みだったせいか、その頃のハイテンションなヒカルが妙に思い出されて今の落ち着いたヒカルとの落差で急激に萌える。いやはや、何ともはや、何て言っていいかわからんな。


真面目な話もしておこう。いや、今のも結構真面目ですが。先程のツイートによると、息子に風邪を伝染されたらしい。一緒に過ごしてるんだね。麗しい、日常。

ヒカルが自らの母親を溺愛しているのは自他共に認める所だけれど、その愛情の量、激しさはヒカルにしかわからない。つまり、ヒカルにはわかる。そして、今のヒカルは母親だ。息子から、将来はもしかしたら娘からも、宇多田ヒカル藤圭子を愛したように、同じ激しさで、宇多田ヒカルが我が子から愛される可能性についても、心に留め置かなければいけない。ヒカルは、日本屈指な「他者から愛されまくる」人生をおくってきているだろうが、恐らく、自分が母親を愛したように激しく愛された経験はない筈だ。あるとしたら両親から、だろう。さてその関係性が息子(や将来の娘)との関係において"再現"されるとしたら? 「私はこんな風に見えていたのか」という発見がある。テレビでヒカルが「幼い息子をみて無意識の時代が何であったかを知った」という旨の無茶苦茶興味深い論点を提示してくれていたが、「幼い頃の自分にあった"愛"」についても知る機会が訪れるのだ。それは得難い経験。今から覚悟しておいた方がいいだろうよ。でもまぁ、呆れ
て笑うのが関の山かもな。