無意識日記々

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宇多田光映像監督を超える逸材の存在予告

そろそろ「宇多田光監督」の再起用を…と期待して早十余年。それは2010年の『Goodbye Happiness』のプロモーション・ビデオ以来なんだけど、そういえば最近のミュージック・ビデオはクレジットこそないもののヒカルパイセンもがっつり絡んだものが幾つかあるわよね。

2020年の『Time』のMVは、感染症禍下ということもあり自宅を撮影場所にしての制作だった。監督を務めた訳ではないけれど、自分ちで取り仕切るんだもの、かなりのインプットはあったろうかと思われる。本人としてもかなり思い出深い1本になっているのではないか。

2021年の『One Last Kiss』も感慨深い。編集責任は庵野&辻田御両人だが、撮影自体は『Time』MVの時のメンバーだったようで。気の置けない友人達に囲まれて自然な表情をみせるヒカルパイセン…とても、いい。被写体ではあったけれどこれは映像監督としての自己プロデュースに近い側面もあったに違いない。

というOLKMVでヒカルのいちばん新鮮な表情を撮影したのは何を隠そう(?)我らが(?)ダヌパイセンであった。ヒカル本人が「私こんな優しい表情するんだ」と驚いた柔和な視線は愛息に向けてこそ生まれたアリガタビーム。やはり「どんな表情を引き出せるか」は具体的な技術以上に撮影者にとって必須なアプローチであるのよな。

となると、確かに宇多田光監督再起用の機運は全く逃したくないにせよ、将来的にダヌパイセンが写真や映像の世界に進んで母親を撮影する世界線を妄想したくならないかと問われたら力強く是と返す以外無く。そうなったら全くこれまでは知らなかったヒカルパイセンの表情を後世に残すことが出来るようになりその逸品の世界遺産としての価値は計り知れようもない。そんな大層なものになる前に私らが嬉しい。色々万々歳である。

もちろん他所んちのお子さんの進路に口を出す気は毛頭ないし、もし私が影響力の高いアルファブロガー(懐かしい響きだなー)とかであればこんな発言は自重するだろうが、それにしたって魅力的な未来ではある。

そもそも私は最初に『Automatic』のPVを観たときに「歌は巧いが全然好みの女の子でも何でもない。」と全力スルーした苦い経験を持つ者なので「被写体の魅力を捉えていない映像作品」に対する恨みはかなり深いのだ逆恨みも甚だしいけれども。なので、今後ヒカルパイセンを捉える映像作品を制作するのであれば、流石に毎度OLKMVのクォリティを要求する気にはならないにせよ、きっちり「宇多田ヒカルここにあり」と認識出来る程度にはヒカルの魅力をちゃんと把握した腕利きに参画して欲しいなと心の底から思うのでありました。

そして、その「ヒカルの魅力をちゃんと把握した腕利き」の筆頭が宇多田光監督であり、更にそこから未知の領域にまで我々を連れて行ってくれる可能性を持つのがダヌパイセン、とこういう訳なのであった。今後現実にどんな未来が待ち受けているのか、相変わらずワクワクが止まりませんね。