無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

音楽教室での著作権料について2

ジャスラックなど潰してしまえ、という過激な文言をしばしば目にするが、こういう極端さは功罪のうち罪の方しか見ていない。功の方に気がついていないのだ。

物事には常に複数の面がある。同じ事象も取り方により評価が変わるし、異なる事象が同じ評価を得る事もある。要するにそんなピュアなものはなかなか存在しないというだけなのだが、これがなかなかわかって貰えぬようだ。

保守と革新、という言葉がある。今現時点で保守とか革新とか呼び呼ばれしている人たちは一切無視して抽象的な話をすると、保守は既に存在するものを肯定し過ぎる余り物事を改善できない。メリットがある一方、デメリットを放置する。更には、それを積極的に利用して自らのメリットを生む為に他者にデメリットをおしつける。「伝統だから」「当然の事だし」と言って目の前で苦しんでいる人たちを更に苦しめにかかる。これが保守だ。くどいようだがこれは抽象的な話であって今現在を生きている人間には一切関係のない話である。

革新は、改善を焦る余り現在存在するシステムのデメリットを消すのみならず、メリットまで消し去ってしまう。伝統に苦しむ人が居るのならそんな伝統なぞ無くしてしまえと叫ぶ。その伝統に寄り添って生きている人たちを無視して。破壊的イノベーションとか言っていらんもんまで破壊する。やりすぎるのだ。くどいようだが以下略。


ジャスラックに対してその存在自体を悪と見立てるのは、やや急進的に過ぎると思う。彼らがやるべきかどうかは置いておいて、著作権を委託管理し著作権使用料を徴収する機関の存在が必要な事に関しては、そうそう皆意見は違(たが)わないだろう。「いや、音楽は無料で配るべきだ」と仰る人は、また今度話を聞くから今はまぁお茶でも飲んでおいてほしい。…ズズズズ…。

今すぐジャスラックという組織を解体してしまうのは危険だ。他の著作権管理団体が有意に(形だけでは意味がない)参入できるような環境整備をして初めて、ジャスラックを解体しようという話になる。彼らは現在一般社団法人だそうだから話は違うのだけれど、電電公社国鉄の民営化のように、周到に準備をしなくてはいけない事項だろう。

そんな事はわかりきっている…というのなら、短絡的にジャスラックを罵るのは辞めて貰いたい。功罪あれど、社会にとって有意義な側面もあるのだから、そちらは残しつつ(別に担い手が今と異なる人たちになっても構わない、要は同じかよりよい機能をもった仕組みが残ればよいのだ)、よくない点を改善していければいい。


で。今回議論に上がっている音楽教室での演奏に関する著作権料(演奏権料、と言った方がいいのかな)の徴収だが、頭ごなしに「酷い話だ」と言ってしまっていいかは、個人的には(って言葉はあんまり好きじゃないんだがな)、即断できないと思っている。これは大いに議論していい議題なんじゃないだろうか。

寧ろ本来問題にされるべきなのは、そうやって徴収した著作権料が確実に本来の自然著作権所有者の元に正当に分配されるか、という点だろう。ジャスラックで最も"正当な悪評"があるとするなら、そこだろう。お金はとります、しかし配りませんでは確かに守銭奴呼ばわりされる隙を作る事になるだろう。

更に一歩ステップバックすれば、そもそもそもそも論として、どのような条件下で著作権料を徴収するかを、自然著作権保持者が選べるようにするべきなのだ。音楽教室で自分の曲が演奏される時にお金をとって欲しい作曲者は代理人に徴収を依頼し、いやそんなの要らないよという人は断れる、それが理想だろう。

昔なら「そんな煩雑な事務処理出来る訳がない」とつっぱねられただろうが、今は計算機と有線&無線ブロードバンドがあるのだから、スマホで人名や曲名を入れれば徴収条件がわかるようなデータベースを作ればよい。その気になれば今あるジャスラックのデータベースからでも構築出来るんじゃないの。知らんけど。

まぁいいや、やっぱりこの話長くなっちゃうからシリーズ化決定。今週の間はお付き合い下さいなっと。『あなたが待ってる』の話とか、したかったんだけどなぁ。まぁそっちは発売日まで急がなくていいっしょ。まだもちっとだけ時間はあるのですよ。