無意識日記々

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音楽教室での著作権料について〆

いや別に音楽(に限った事ではないが)の著作権料徴収って技術的に難しいものではないだろう。前も書いたように、配信サイトで音源を買うノリで許諾を購入すればよい。

我々は既にもう似たような事をしている。電子書籍サイトにはレンタルと購入の両方がある。レンタルの方は例えば48時間だけ読めて100円、購入の方はずっと読めて500円、という風に。iTunes Storeの映画も似たような感じだね。用途や用法に合わせて異なる料金を支払うのに我々は慣れ始めている。なお余談だが、今「購入」と書いたものは実状殆どの場合"無期限貸与"とでも呼ぶべきもので、対象の電子書籍店が潰れたら我々は電子書籍が読めなくなる。そこらへんが今までの紙の本との違いである。ついつい「zipかpdfでクレ」と言いたくなるが、現実はなかなかそうはいかない。まぁそれはさておき。

同じように、事細かに条件を変えて権利を購入すればよい。音楽教室でこの人数を相手にこの曲をこれだけ使う場合は幾ら、というのをストアにつらつらと表示させるのだ。なんだか煩雑に思えるが、現実のレンタルショップで我々は「新作」「準新作」「旧作」「当日返却」「翌日返却」「二泊三日」「七泊八日」「CDシングル」「CDアルバム」「DVD」「Bluray」といった諸条件を組み合わせて円盤を借りていく。これ結構煩雑だと思うんだが要するにこんなのは慣れである。そのうち検索も最近のGoogle先生のように文章で訊けるようになるだろうし。「Utadaの『The Workout』を中1の子たちを対象とした英語塾で使いたいのですが幾らかかりますか?」と入力すれば即座に「日本語訳するとR15指定に相当するのでオススメできません」と返ってくるとかな。著作権の話関係なくなってる。

要は、今のようにジャスラックに全部押し付けるのではなく、個人で自分の著作権料を管理したい人は出来るだけ自由に扱えるようにオンライン環境を充実させればよいし、その技術的な難易度は電子書籍店やダウンロード販売サイトとそこまで大きくは変わらないだろうという事だ。


…ふむ、この話題飽きてきたな。空想や妄想は好きだが、なまじっかやろうと思えばできる筈の事を想像しているもんだから、現実には極めて困難であるという状況にウンザリしてしまっているのかもしれない。まぁ、まだまだジャスラックは元気だろう、というのがこちらの見立てである。TPPの雲行きも怪しくなっているし、著作権環境を激変させる黒船は暫くやってきそうにないからな。


さてでは話を大きく戻しまして。ヒカルが一体何を考えてツイートしたのかなというくらいのところまで戻るか。

前々から、あからさまな名指しはしないものの、ヒカルがジャスラックに対して快い感情を抱いていないだろう事は、既述の通り、節々から散見されていた。これはひょっとすると、本気で個人的な感情のもつれがあるのかもしれない。

といっても、ヒカルの話ではなく、お母様の藤圭子さんの方だ。彼女の人脈の近くにジャスラックの正会員とかそういった中の人が居て、生前彼女につらくあたるとか、何らかの暴利を貪られたとか、某かのマイナスイメージが拭い難く、ずっとそれが尾を引いているのかもしれない。

最近ではジャスラックというとミュージシャンから不平不満を言われる存在として認知されているのかもしれないが、元々は音楽業界の権化みたいな存在である。Wikipediaなんかにも載っているんじゃないか、歴代の重鎮たちの名前は演歌・歌謡曲に永く轟いているようなのばかりである。まぁそこらへんの歴史に詳しい訳ではないが、あれだけの売上を誇った藤圭子の周りにそういう人たちが居たりしてもそう不思議はないだろう…ってこういう話題でこういう語り方をするとまんまタブロイドっぽくなるんだなぁ。なるほどなるほど。

という訳で自分の書いている文章が嫌いにならないように、この話題もここらへんで打ち止めにしておこう。ヒカルが私怨で発言なんかする訳がない、というのは真理だが、お母さんが関わると別だ。親族に随分手厳しい言葉をかけた事もある。ヒカルにとってお母さんは唯一無二、代わりのない最も特別な存在だったのだ。唯一の聖域。そこに踏み込み過ぎると本気で疎まれるのでこの話はここらへんにしておこう。

でも、『Fantome』について語る時にはどうしたってそこに踏み込んでいかざるを得ない。悩ましいぜ。