無意識日記々

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君は話を作るのが得意なフレンズ

けもフレ11話まで観た。本当によくできた、丁寧に作り込まれた名作だが、当初言っていた「情報量の厳選」がこの3話でやや蔑ろにされているようでそれが残念だ。いや勿論、不必要なカットは極力カットされていて重要な場面ばかりで構成されているのだが、如何せん尺が絶対的に足りていない。今の演出の余裕の無さはスケジュール管理より寧ろ1クールに話を詰め込む為の妥協案、みたいな感じだろう。視聴者層を考えると、リズムと「話のまとまり」なら後者が圧倒的に重視されるので現実的な選択としては大正解だが、もっとゆったりのんびり眺めていたい人間は前者を重視するので、そこはやや物足りない。しかしこれは、物語を生み出すものの宿命である。

この作品と比較されるべき「ワンピース」の方は、最早「情報量の厳選」とか贅沢を言っていられない状況にある。兎に角物語のプロット・アイデアが多すぎて、今や完全に尾田栄一郎の寿命との一騎打ちである。細かいコマ割りと長台詞でダイジェストのように進行させていくしかない。初期のように大ゴマを使った迫力のある場面は最低限になってしまった。それでも譲らない場面はちゃんと描写してるのは流石だけど。

尾田は宮崎駿を「描きたい絵が多すぎて物語の整合性に構っていられない状態」だから「もののけ姫」を境にして宮崎アニメから物語の魅力が失われた、と正しい原因の分析をしていたが、尾田は全く逆に「書きたい物語が多すぎて絵に構っていられない状態」に陥っている。あれだけ本編で大量のキャラクターを描いておきながら、サイドストーリーを幾つも抱えて(いて漫画に描ききれていない)のだから驚きだ。

普通のクリエイターは、日々アイデアが出てこないのが悩みになっているが、彼らのような天才たちは「アイデアがありすぎて表現しきれない」のが悩みだ。全く逆ベクトルに悩んでいる。目を瞑ったら頭の中に勝手に完成された交響曲が流れ出す(のでやる事といったらその曲を"記憶して"楽譜に記す事くらいだった)モーツァルトとよく似た状況である。

けもフレがそれにあてはまるかどうかは、12話目で明らかになるだろう。物語的には何も心配していない。今もって、ありきたりな、王道ともいえるお話が続いている。あとは尺に入りきったかどうかだけが懸念だ。それが判明するのはまた来週のお話だな。あの空気感は、きっとそのままでハッピーエンドを迎えてくれるだろう。