無意識日記々

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ズーム・アップ&アップ・ロード

3日前告知ってのも、梶さん随分考えたんだろうなぁ。早過ぎず遅過ぎず。告知即発表だと拡散し切れてないし間があくと忘れられてしまう。その間をとってちょうどいいインターバルがこれ位なんだろう。

もっと規模の大きいコンテンツや小さいコンテンツだとまた違ってくる。宇多田ヒカル知名度やファンの熱量、情報が伝わるメディアの特性などを加味するとこれくらいで、となる。逆からみれば、告知から発表までのインターバルからレコード会社がそのアーティストをどう思っているかがみえてくる訳だ。もっと比較対象があればそのスケール感もわかりやすくなるのだが。

本来なら先行して公開されているアーティスト写真から次の曲の作風を推理したりしたくなるところなんだが、昨年の感じからすると見た目と音の連関がうまく行っているようには実はみえない。

多彩な曲を多数網羅する『Fantome』でビジュアルイメージを統一するのは至難の業だ。ジャケットのクレオパトラヘアで『人生最高の日』を歌われてもなんだかなぁという気分になるだろう。

そこらへんヒカルは心得ていて『30代はほどほど。』では歌を歌う段になったら着替えてきていた。『20代はイケイケ!』の時はそのまま歌ったのにえらい違いだ。

とはいえ、格好なんて歌がよければどうでもよくなる、というのもまた事実。自分も『少年時代』とヒカルのトレーナー姿×サラサラロングヘアは自分の中でわかちがたく結びついているが、格好が歌詞のイメージにそぐわないからといって気になるかというと、うーん。「いい歌だった」という記憶を彩るいち要素でしかない。

それに倣えば、『人生最高の日』をクレオパトラヘアで歌ったとしても、歌のパフォーマンス事態が図抜けていれば「これもありか」と妙に納得してしまう事もありえる。いや、きっとそうなるだろう。新しいアー写をみて私みたいに「なんか普通だな…」と思った人も、ヒカルがあの格好で見事なパフォーマンスを披露してくれれば、同じアー写も「いい写真じゃないか」と絶賛するようになるかもしれない。現金だが、事実なんじゃなかろうか。今の写真の出来なんてこれから歌われるヒカルの歌次第でどうとでもなるのだ。取り敢えず、だから、今夜か明日中か、どこかで耳にする新しい曲を聴いてから、そして、ミュージックビデオでもテレビ出演でもなんでも、ヒカルが顔を出して歌っているのを聴いてから、だわね。