無意識日記々

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バックバンド&バックコーラス

爽健美茶の時はバックコーラス分厚かったよなぁ、とリンクのチェックをしながら思うなど。

ライブでいつも気になるのは録音物の再生である。主にHikaruによるバックコーラスだ。『Fantome』では様子が変わっていたが、以前のヒカルはスタジオバージョンのバックコーラスを総て自分の声で録音して三宅Pと重ねていく生活を営んでいた。推定48トラックを12曲分全部自分の声で録音するとか気が遠くなる狂気の沙汰だが、お陰でソロ・アーティストによるサウンドとしての烙印をしっかり押す事が出来ていた。ライブで他人の声を使うとそのイメージを損なう。もっともな判断である。

しかし、原理主義的にいえば「それはライブと言えるのか」。録音物を再生していいのなら、何故そもそも生演奏をする必要があるのか。録音物の再生ならミスもないしバランスを考える必要もない(マルチトラックを再生するならこの限りではないが)。人件費もかからない。事実、アイドルや声優のライブでは生バンドを入れずカラオケを流してステージには歌い踊る主役たちのみというケースも多い。

宇多田ヒカルはロックバンドではなくソロアーティストだ。ライブに来る殆どはヒカルの生歌が聴ければよく、バックバンドが生演奏かどうかなんて考えない。バックコーラスも含めたマイナスワンのカラオケトラックを流してヒカルがステージに出てきて歌うだけで十分なように思う。

実際自分はウタユナの静岡公演でボロボロバラバラな演奏を目撃している。あの2回の公演に限っていえば、カラオケを流して貰っておけばよかったなぁ、と思った。生演奏はリスクそのものなのだ。生歌もだけど。

それだったら、あるかどうかもわからない生演奏のマジックなど待たずに、確実にカラオケを使って人件費も下げチケット代もお安くしてくれた方がいい、という人が出てきてもあんまり不思議ではない気がする。現実には人件費のかなりの割合がヒカルのギャランティだろうからそこまでの値下げは期待できないか。ウタユナんときは100人だか200人だか、スタッフの絶対数も多かったし。

生のバックバンドに生のバックコーラス。リスクだらけだ。ただ、録音のバックコーラスを使うのもリスクな気がする。私の場合、それだけでやや冷める面もある気がしているからだ。それを聴いた途端に「嗚呼、完全なライブじゃないんだ」とついつい思ってしまう。他にどれくらいそういう人が居るのだろう。ほんの僅かだろうかな。

ライブコンサートなんて楽しめればいい、難しい事をくよくよ考えるな、というならばそれまでだ。しかし、そう言う人でも、ヒカルが口パクしたら文句を言うのだからこれがまた難しい。今目の前で歌っていようがいまいが、音は鳴ってるんだからただ楽しめばいいのにね。人間そういう風には割り切れないのでした。この問題は大変根深い為、又いつか取り上げ直す事でしょう。いつになるやらですが。