無意識日記々

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シリアスvsジョーク

前にチラッとツイートしたんだが、真面目にロックに取り組んでいる米津玄師より着ぐるみさんたちがワイワイ騒いでふざけている岡崎体育サウンドの方がずっとロックの歴史への造詣が深く、故に様になっている。実際はかなりPay Money To My Painの中の人の力が大きかったようだが、それを纏めあげたのは体育のプロデュース能力だろう。

この、音楽を真面目にやる人と音楽でふざける人のコントラストはいつの時代もどの地域でも鮮烈だ。シリアスvsジョークとでも言いますか。そしてしばしば、上記のようにふざけている方の音楽性が高かったりする。真面目にやっている方はたまったもんじゃない。

ロックだとレッド・ホット・チリ・ペッパーズレッチリの奴らだ。全員全裸に靴下一本で写真に収まったかと思えば、ラウンジ・ミュージックにすらなる耳あたりのいいラブバラードを歌ったりする。日本でもサザンオールスターズコミックソングとシリアスなバラードを使い分けるが落差はその比ではない。差なのか比なのかハッキリしろ。

何より、レッチリのメンバーは(メンバーチェンジを経てなお)バカテクなのだ。あんな全員巧いバンドはそうそう居ない。『EXODUS』の『Kremlin Dusk』で叩いている凄腕ドラマー、ジョン・セオドアがかつて在籍していたバンド、ザ・マーズ・ボルタの1stアルバムでベースを弾いていたのがレッチリのベーシスト、フリーだった。鬼のようにシリアスなザ・マーズ・ボルタのサウンドを更に一段階上のレベルに押し上げたのが彼のプレイだった。フリーが弾いているのなら、とボルタの1stを手に取った人も多かろう。

メジャー・レーベルでいかにシリアスなロックを繰り広げても、なかなかレッチリのクォリティーには届かない。あんな巧い人たちにシリアスもジョークも自由自在に操られては…となるのが、この四半世紀の米国のオルタナ系の持病みたいなものだった。

日本では、上記のように、レッチリほど極端ではないもののサザンがその役割を担っていた。コミックソングと、レイ・チャールズにすらカバーされる素敵なバラード。そのバランスの中でチラチラと"音楽への真摯さ"を垣間見せるのが桑田佳祐の性格だった。要は、ビートたけしと同じでシャイなのだ。


1998年に登場した宇多田ヒカルが邦楽シーンに何を仕掛けたかといえば、実はここが大きかった。この人、音楽で一切ふざけないのである。くそまじめ of くそまじめ。兎に角自分が音楽と真剣に向かい合っている事を隠そうとしない。隠す気がないというよりそんな事に気が回らないくらい真剣なのだ。邦楽シーンの空気がそれで変わった。頂点たる存在がくそまじめなので、ふざける方が絶対的な傍流、亜流になったのだ。

1999年は、邦楽市場に関わる人間総てが宇多田ヒカルを一度は聴かざるを得なかった。新たな頂点がいきなり訪れたのだから。そしてその音楽は徹底して「洒落のわかんねぇヤツ」だった。のちの『traveling』でさえ、下世話な掛詞を古典の風雅に吸収させるという手法でシリアスに持っていったのだ。憂いなく「マンピーのGスポット」を歌う桑田佳祐もこれにはかなわなかったろう。兎に角どこまでも真面目で真摯で、難しい顔をして歌う。笑顔も人を感動させる為にある。早い話が音楽に命をかけてしまっていて、いや、"人生に命をかけてしまっていて"、周りは一切それを茶化す事が出来なくなってしまった。

そのヒカルの態度は母譲りであり、その母は亡くなってしまった。最早茶化すだのふざけるだのは不可能の彼方である。それで何も悪くないのだが本当にこれで"全部いける"のか時々不安になる私なのだった。