無意識日記々

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一曲で五度美味しかった昔と今。

で、そうそう、キングダムハーツさんの仕事を請け負えば自然と主題歌の英語バージョンの話も出てくるだろうね。リリースの仕方は『Ray Of Hope 』と同じになるだろうか。つまり、日本語版と英語版のカップリング。今度はオープニングとエンディングで分けるかは不明だが、あらゆるバリエーションが可能なタイアップなのだという事は覚えておいた方がいい。

「2」の主題歌『Passion』には3パターンの楽曲があった。『Single Version』『Original Version』『after the battle』。これに英語版として対応するのが『Sanctuary』の『Opening Version』『Ending Version』だった。つまり、英語版の『Sanctuary』には『Single Version』が存在しない。『ずっと前に好きだった人〜』以下のメロディーと歌詞に英語版は存在しない。シングル曲としてリリースする必要のあった日本独自のバージョンだった。

今は、というか今回はシングルバージョンは作らないだろう。というのも、そのような「市場の要請」が今の日本には皆無だからだ。2005年同時であれば、「宇多田ヒカルがシングルをリリースする」というのは一つの事件であって、故にその楽曲は多大な期待を背負って世に送り出されていた。「このままではシングル曲として弱い」という判断が為されれば、エンディングにもうひとつパートをぶちこんで増やしてでも、"シングル曲としての体裁"を取り繕う必要があったのだ。それ程までに「市場からの期待」とそれに伴う「同調圧力」は大きかった。

今は、宇多田ヒカルという名は相変わらず大きいけれどそれはもうただの別格であって、曲が売れようが売れまいが揺るぎない。どんな歌を出そうがそれは「宇多田ヒカルの新曲」でしかない。ただの曲としては聴いて貰えないのだ。「市場に合わせたバージョンを作る」意義も要請も存在しないのである。

キングダムハーツといえば宇多田」の図式もすっかり定着した。皆も期待しているが、それは「市場の要請」とは少々違う。この違いを説明するのは難しいけれど、要はヒカルが優位に立てているという事。過去の実績を顧みれば当然の地位なのだが、なんだろう、大きくなりすぎたよね、何もかも。

この状況で「初心に還る」事が出来たなら大したものだが、それはどうしたって破壊的にならざるを得ない。そこまでする必要を今は感じないので、真正面から皆の期待に応えて貰おう。やっておしまいなさい。