無意識日記々

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長いインタビューはいいね。ヒカルの「いま」、「今」を感じさせる。

「人間、そんなに変わらない」という発言をみて安堵した向きは多いのではないか。昔の歌で歌えなくなった、歌いたくなくなったものは今のところ無いそうで。ライブであんな歌を聴きたいとかこんな歌を聴きたいとかいった希望がこれで粗方繋がれた訳だ。良い傾向である。

この『人間は』、主語としてやたらデカいが、英語にすれば"you"、日本語にすれば「(一人の)人間(としての私)は」といったところだろうか。インタビューでは「何か変化はありましたか」という質問は、何をどの範囲でというのを明確にしないと回答が難しい。ほんの数段落の間に「変わりましたね〜」と「変わってないですね〜」が混在する。何がどう、というのは常に留意すべき項目だ。

20年前と今。様々な経験を積み環境も変わった中で同じ歌を同じ気分で歌うのは難しい。寧ろ、歌に感情を引っ張り出して貰うくらいのスタンスだと思った方がいいか。つまり、昔と今で同じ気持ちでいれる中で同じ歌を歌うというよりは、その歌を歌う事で感情を持っていかれるくらいに「歌が強い」という事ではないだろうか。

ついついそこで「普遍性」という言葉を使ってしまいがちだ。色褪せない、とよく言うが、本や絵画と違って音楽は経年劣化なんてしないからね? 色なんて一切褪せない。変わるのは我々の受け取り方の方であって、つまり変わってしまうのは私たちの方。昔も今も、歌は変わらない強さを持っているのだ。ヒカルの歌はつまりただただ「強い」のである。我々の方が変わっても、その程度では何も変化がなかったかのように強く、大きい。歩く我々を月がいつまでも追いかけてくるのは、我々が少々動いたところで何ともないくらいに月が途方もなく大きいからだ。大きすぎると、まるで我々に合わせてついてきてくれるようにみえる。ヒカルの歌はそういう存在だ。

となればやっぱり『光』や『WINGS』といった苦い思い出を想起させる歌も今後ライブで歌ってくれるか。楽しみだ。