もうヒカルファンの大半が花晴れ実写ドラマを観ていない気がするが、まぁ仕方がないか。新曲新譜にツアー告知じゃな。そっちに気がいっても仕方がない。
しかし今週も見事な『初恋』だった。制作陣もあまりに作風と曲調が乖離している事をわかっているのか、今回は本編の音声をまるごと遮断する徹底ぶり。これをすると「主要人物達が次々と凶弾に倒れていく」みたいなイメージと重なるのでバッドエンド感が半端ではないが、いやはや、『初恋』の威力があれば最早何の憂いもない。
なんだろうね、この楽曲全体から漲る神聖さは。『FINAL DISTANCE』を聴いた時の衝撃を思い出させるが、最大の違いは『声』であろう。『Fantome』では、ヒカルの歌唱における発声の変化と、それのみならぬ発音の変化にも注目した。それがここに至ってより一層推し進められている。たおやかと表現したくなるその丸みと豊かさを兼ね備えた声色は、ダークで切なくてささくれだったあの"藤圭子ならではの声"からは程遠い。しかし、その藤圭子も、『ファントーム・アワー』で聴いた人も多いだろう"My Way"のようなダイナミックな歌唱を聞かせられる人なので、その振り幅は益々「藤圭子の娘」らしいなという言い方も出来る訳で、これ、何というのだろう、誇らしいね。
更にもう一歩踏み込んで言えば、『Fantome』を経て、この新しい発音と発声が、新しいメロディーと新しい曲調を齎すに至った、その局面を代表する楽曲がこの『初恋』なのだろう。
宇多田ヒカルはプロデューサーである。だから、シンガー宇多田ヒカルの新しい声を聴いて、「彼女、いい声をしているね。ねぇ、この子の声をもっと活かせる歌を作ってみてくれない?」とソングライター宇多田ヒカルに依頼するのは自然な流れだったのではなかろうか。
そうして出来た(と思しき)『初恋』の神聖さは、何もかもを包み込むかと思わせるくらいスケールがデカい。歌詞自体は寧ろ、何しろ初恋を歌っている位なので幼い心細さや初々しささえ感じられるものなのだが、これは、ただの男女の色恋沙汰を歌っているだけなのにまるで人類愛を歌い上げているようだと称えられた若き日のアレサ・フランクリンのようである。歌唱法自体はまるで違うものだけれども、母性すら超えた神性を感じさせる。声が成長すればここまで変わるものなのか。
この歌声の許に集えば、無理矢理な設定やご都合主義の展開、事務所の思惑や原作者の苦悩などがまざりあった「ごちゃっとした」ドラマからでも大事なものを見つけだすのは容易い。一言で言えば愛である。確かに、それなら作品は何だっていいのかもしれないが、そこに新しい宇多田ヒカルの歌声が鳴り響いているのだからそれでもう十分過ぎる程特別だ。その気分に浸れるのだから来週もまた観るぞ。