無意識日記々

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そうともこうともああともいえる

未だに『Good Night』のタイトルを『Goodbye』に書き間違えそうになる。というか、この歌を聴けば聴くほどこの症状って重くなっていかないか? まぁそれはさておいて。

冷静に考えてみると「おやすみ」と「さよなら」っていう挨拶を両方同時に言うって、『また会いましょう」の意味になるんじゃないか。「さよなら」+「おやすみ』=「またね」。

これが、この歌の解釈、更には「ペンギン・ハイウェイ」という映画のエンディング・テーマの聴き方として妥当なのかといえば、疑わしい。

映画を切り離して歌の歌詞をみたとき、この歌の主人公は「君」と今はどうなっているのか。『君の見ていた世界』という一節からは、もう『僕』は『君』とは会えていないようにみえる。『謎解きは終わらない』と畳み掛けられると尚更だ。まるで、『君』が『僕』に謎だけを残して目の前から去っていってしまったようにきこえる。

一方で、『ああ 無防備に瞼閉じるのに ああ 夢の中に誰も招待しない君』の一節からは、閉じるとかしないとかの動詞が過去形になっていないことから、現在進行形で『君』と『僕』が会っているようにも思える。それどころか、『僕』の前で『君』が眠っているのであれば、2人はたった今かなり親密であるとさえ言いたくなる。

『僕は思い出じゃない』とか『この頃の僕を語らせておくれよ』とか、『僕』は随分と強い言い方をする。これは、目の前にいる『君』がいつまでも『僕』をこども扱いして成長してるのを認めてくれないのだ、ともとれるし、随分と長いこと会っていないから久し振りに会って今の自分を見てほしいと言っているようにもとれる。

結局、どっちかわからない。でも、いや、だからこそ、事前にフルコーラスで公開される映画のエンディング・テーマとしては優秀といえる。歌をどれだけ聞き込んでも、それだけだと映画のエンディングを予想できないからだ。ふぅむ、全くよく出来てるよ。

それでもめげずに探っていくのですがね私は。