無意識日記々

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謎を解く人解かれる人ほっとく人

「ペンギンハイウェイ」を観ていてぼんやりと感じたのは、「あぁ、誰だかはわからないけれど、この作品を作った人は、自分の力で謎を解いた経験が少ないのかもしれないなぁ」ということだ。

謎といっても別に大層な話ではなくて、知恵の輪でもパズルでも数学の問題でも何でもいいのだけど、「わからなかったことがわかるようになる快感」と「わからないことをわからないまま放っておくことのもどかしさ」の両方に対して随分と無頓着だ。その2つに敏感な人間にとっては鈍感であるばかりでなく、少しおそろしくもある。

故に『日曜の朝』ひいては『Good Night』との相性がいいのだが、ヒカル自身は、毎度“作詞”という非常に難易度の高いパズルを解いている。上記の「快感ともどかしさ」については、我々よりも余程親しんでいるのではないだろうか。

だから、と言うのは余りに早計過ぎるが、ヒカルが「お姉さん目線の歌詞で」というオファーにうまく対応できず、結局少年目線で書くことになったのは、自分が常に問題を出す方だというよりは、問題を、謎を解く方の人間だという意識が強かったせいなのかもしれない。

で、余りに親しみすぎている為、「解けないもどかしさ」と共に過ごす時間が慣れっこになってしまっているのではないかと。だから、多くの(作詞という)難問を解いてきているのに、『日曜の朝』や『Good Night』のような謎を謎のままにしてよしとするような歌詞も書けるのではないかと。その歌詞もまた、難しいパズルを解いた揚げ句の“答え”ではあるのだけれども。

その大きな心が、『Good Night』から感じられる安らぐ優しさを生んでいるとすれば、これ、結局お姉さん目線で書いてるのと同じことだったんじゃないのかな。ここはちょっとわからないのだけれど、ヒカルにとってはまた取り組み甲斐のあるテーマに出会えたんどなは言えるんでないかな。