無意識日記々

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転スラの件要らなかったかも?(汗)

照實さんの年齢や体調を慮れば、ツアーの最高責任者は宇多田ヒカルその人だと考えて差し支えない。その人が座長として現場の陣頭指揮を執りプリプロダクションを牽引し編曲を担当した上でギターとピアノを弾きほぼ全曲で歌うとなると、チケット購入の詳細などにかまけている暇は無い。あれやこれやと皆不満はあるだろうがヒカルが何かを失敗している訳ではない。それが本音。でもね、やっぱり最高責任者。何か言われるのはヒカルなのだ。言われないようにしたいやね。

だから「コンセプトが大事だ」と何度も繰り返してきた。ヒカルが居ない場所でも「このツアーがこのツアーらしくある」為には、こまごまとした決定の数々──ツアーグッズのマグカップのサイズは200mlがいいか300mlがいいかとかそういったありとあらゆる判断──を下せるように「誰にでも頼れる基準」が必要だ。明示的なコンセプトとはそれである。例えばツアーのテーマが「青」ならツアーグッズの色味はすぐさま次々と決まっていくだろう。青にすればよい。こう書くとバカみたいだが、コンセプトが全く無いとこの議題ですら何も決まらず延々会議が続くのだ。その時間がまるごと節約できる。侮れないよ。

無論、ツアーのテーマをストレートに「青」にするだなんて雨宮天でもなければ出来ないが、もう少し抽象的だとしてもあるとないとでは全く違う。頼れる指針を与えられる。その効果は計り知れない。


今回のチケットの売り方に文句がある人は多いだろう。称賛する人も多いだろう。しかしいずれも歯切れが悪く矛先が鈍めになる(褒めようとしても褒めきれない、貶そうとしても貶しきれない)のは、何の基準も示されていないからだ。

そう、未だに誰も「何故この売り方にしたのか」について語る人が出てきていない。それがあればその理由なり志なりと照らし合わせて善し悪しが判断できる。それがない。だから今の所歯切れよく言えてるのは「自分や周りの人達が当たってよかった」と「自分や周りの人達が外れて嫌だ」の2つしかない。他に言いようがないのである。

自分の予想ではギリギリまで諦めなければかなりの数の人が当選可能(場所を選ばなければ、だが)なのが実際だとは思うが、
つまりそれでも外れる人は居るだろう、というのが現実だ。彼らが、果たして最終的に納得してくれるのか? 最後にはシステムを悪し様に言って去りはしないか。「次は頑張ろう」と前向きに思ってくれるかどうか。

ここに「大義」があれば、落選した人の気分がまるで違ってくる。最初の最初に触れたように、チケットの抽選で大事なのは当選者を決めることではなく、外れた人へのケアなのだ。その為にはそもそもの「何故」の部分の説明はどう足掻いても必要だった…

…って、何だか無意味に熱くなり過ぎたというか力んできたので今夜はこれくらいで。次回また。