無意識日記々

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“重い曲”への思い入れ

“ライブでは“重い曲”を歌うか否か、歌うならどう歌うのかにも注目だ。『嵐の女神』や『真夏の通り雨』『忘却』に『桜流し』、『夕凪』といった主に母への思いが重い楽曲はすんなり「聴いて下さい。次の曲は…」で始めるのも難しい。

いちばんシンプルな方法は、『Utada United 2006』のUtaDAパートでやったように、MCを排して照明に凝りちょっと本編の流れとは別の所で歌ってしまうことだ。これならどんな曲も歌える。下手にMCをして雰囲気を壊したり逆に感極まって歌えなくなってしまうよりはいいだろう。

一方で、慎重にならなければならないが、前回『WILD LIFE 2010』の(って正式名称に年号は入ってないけどな)『虹色バス』などのように確りと段取った“演説”を以てイントロダクションとする方法もある。やり過ぎると演歌みたいになりそうだが藤圭子が演歌歌手だった訳でそれはそれで合っている気もする。これはヒカルの“演説力”次第だな。

『WILD LIFE 2010』のエンディングを『time will tell』ととるか『嵐の女神』ととるかで、この“重い曲”たちへのアプローチが変わってきそうだ。8年前の時点での最新曲とデビュー曲。どちらから始め直すのもよしだが、歌わなかったことで『嵐の女神』は“宿題”めいた空気を残す事となった。この歌を躊躇いなく歌うことでここから前に進めるとは思うけれど、レコーディング時に足許が震えた位らしいので果たして大聴衆の前で歌えるか。圭子さんが存命中に書いた歌詞が今になって余計に響いてくるのはお馴染みの宇多田歌詞マジックだが(安直な言い方だなー)、余計に重くなったその歌詞を歌いこなせればもう怖い歌詞などなくなるかもしれない。即ち、『嵐の女神』さえ歌えれば“重い曲”たちへの対処は凡て可能になるだろう。なので“重い曲”への演出方法はこの1曲に懸かっているのではないか。是非に生で聴いてみたいものである。もし歌わなかったら…まぁまた宿題が持ち越せたということで更なるコンサートツアーに期待することに致しましょうかね。