無意識日記々

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『Face My Fears』の制作手順を妄想してみる

『Face My Fears』はどうやらヒカル、Skrillex、Pooh Bearの3人がスタジオで一緒になって制作した、ということのようだ。今時珍しい? 最近はデータのやりとりだけでコラボレーションが完結する事も珍しくなかろうに。2人のみならず3人て。皆バラバラに住んでいるだろうにな。

でも、最近というが10年前の『This Is he One』の時に既にUtadaStargateの2人とあんまり会ってなかったような風に言っていた。一方でトリッキー・スチュワートとはなんかホームパーティーに呼ばれたような言い方もしていて(ただの“そういうことしてそうな人”という意味の喩えだったのかもしれないけれど)そちらは膝を突き合わせて制作していた風にも思われ、なんだ、ケースバイケースなんだろうなという特に面白くない結論だな。

で。つまり『Face My Fears』は3人で制作したのだからやりとりは英語だったろう。となると、その時の(恐らく仮の)歌詞は英語だったのだろうと推察される。制作のキッカケがSkrillexからだったので、ヒカルから日本語の歌詞を最初に提案して…という流れは考えづらい。まず3人でサウンドを作りヒカルがそこに仮の英語詞を付け加えていったのでは…と想像される。

サビのメロディーのアプローチからもわかるように、Skrillexはある程度東洋風しかし基本無国籍風、という雰囲気を出したかったようだ。ディズニーキャラクターが活躍するとはいえ、やっぱりゲーム制作が極東だもんね。その意図をヒカルが汲んで、その後日本語詞も書かなくてはならないことを念頭に置きつつ中間部の『ナヤムナヤムナヤムナ…』のパートが出来上がっていった、と解釈してみる。なぜ無意味な言葉の連なりにしたのかといえば日本語版にも英語版にもそのまま使えるから、ではなかったろうか。

故に『Face My Fears』はまず英語版が完成してその後に日本語版の『フェイス・マイ・フィアーズ』が出来た、という順序だったと推理される。勿論、英語版が8割くらいできたところで日本語版に着手しそこからのフィードバックを得て英語版の残りが埋まっていく…といっまような行ったり来たりの同時進行もあったのかもしれないが基本英語版が主軸になっていたのではないか。まずはこの見地から話を進めたい。