無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

誰目線で書いたのかよくわからない日記。

再掲。

@utadahikaru : 自分もいつか視力失ったらお世話になるんだなって思ってありがたく思ってきた点字ブロック、車椅子利用者には結構な難関らしい 難しいね(°_°)

社会福祉にとって相克と葛藤は本質である。ヴ王の名言に「失政は政治の本質だ。」というのがあるが、似たようなもの…でもないか。でもまぁ近い。

無理を通せば道理が引っ込むとはよく言ったもので、弱肉強食の非効率に嫌気が差した人類は福祉を強化して頂点に立った。まぁこの程度で頂点なのかとゴキブリあたりに笑われそうだが、一種で7000000000匹以上の個体が同時に生存しているとなると、特にバリオン数では地球有数の種だろう。まぁそんな我田引水な基準を採用している時点で夜郎自大ではあるけれど。

脱線した。ヒカルは優しい。『自分もいつか視力を失ったら』もまた照れ隠しのようなもので、見ての通り少数派には途轍もなく慈悲深い。故にヒカルは葛藤から逃れられない。とはいえ、苦悩に身を置いてこそ真の安心が得られるというのがintegrityの真髄だから、それが私の人生なんだとしか思っていないかもしれない。

そして。苦悩と葛藤は技術と医術であっさり解決したりするものだ。「天然痘の根絶」などはまさに医術の何たるかだろう。全然あっさりじゃなかったけれど。とまれ、ヒカルの『難しいね』もそのうち技術と医術が解決する。その時しっかり讃えよう。

だが結局は、最初に葛藤と相対する人間が必要なのだ。幾ら技術が進んでも、使うべき場面を知らねば意味がない。それを示唆する為にも最初の『難しいね』は大変意義がある。宇多田ヒカルに褒められると知れば、世の技師と医師にもやる気を出す者が出てくるのではないか。こうやって誇って貰えるのは、300万弱フォロワーのツイッタラー最大の効用だろう。わざとらしくない程度にどんどん呟いていって欲しいものである。