今宇多田ヒカルは「母」をテーマに書けば何か凄いものを創る、というイメージが出来つつある。「父」との確執から始まって「母」の存在に気づいていくエヴァの物語との相性は抜群だろう。
ワンピースの作者尾田栄一郎は読者からの質問で「登場人物に"母"が少ないのは何故ですか?」と訊かれて「"冒険"の対義語が"母"だから」と答えた。ひと繋ぎの大秘宝を求めて大海原に繰り出す麦わらの一味にとって最も不要な存在なのだろうかな。
一方エヴァは─少なくとも旧劇版は、「家でじっとしてたら使徒がやってくる」物語だった。つまり、実に昔気質だが「母がお家を守る物語」だったのだ。ワンピースと対極である。
そうこうしてるうちに時代が変わり、"守るべき家"という価値観も変貌しつつある。ヒカルも『あなた』で『この部屋にいたい もう少し』なんていう風に歌っているが、確固たる家という昔ながらのイメージとは違ってきている。
「シン・エヴァ」は「母」をどう描くか。そして主人公たる「少年」をどう描き切るか。「母を喪う」物語も「母になる」物語も歌った宇多田ヒカルがどの立場でどのような歌を歌うか。庵野総監督が時代を見据えたライブ感を重視する人なだけに、世情を踏まえつつその中で旧来の"ロボットアニメ"の立ち位置を教えてくれるだろう。エヴァはロボットではないが、シン・ゴジラやシン・ウルトラマンといった特撮映画との対比は監督署の中で確固としてある筈だ。無事に来年6月に日の目を見る事を祈ろう。