『初めて嗅ぐ人がいて完成するみたいなそういうタイプ』という一言には大変導かれている。新しい扉を開いて貰ったみたいなそんな感じ。
そういえばヒカルの歌詞には『扉』『ドア』が幾つも出てくる。パッと思いついただけでも
『何度も同じ扉の前に辿り着いてはノックしかけたんだけど』/幸せになろう
『閉ざされてた扉開ける呪文 今度こそあなたに聞こえるといいな』/This Is Love
『開かれたドアから差し込む光』/誓い
『あなたへ続くドアが音もなく消えた』
『そのまま扉の音は鳴らない』/誰かの願いが叶うころ
という風な。多分まだあるだろうな。
基本的には「今あなたに進める道、新しい可能性が開かれた。そこを歩むかどうかは君次第になる。」という状況の表現として扉が登場している。それは恐らく他の作詞家/作詩家と同じような使い方だろう。そんな中でヒカルの特徴としては、この扉のモチーフが、光だけではなく音とも深く関連している点だ。
『光』の『静かに出口に立って暗闇に光を撃て』にみられるように、扉を開けたら光のやりとりがあるというのは直感的にわかりやすい。自分の目の前に新しい可能性が拓けていく様を「光が差し込んできた」と表現できる。ヒカルの歌詞の場合そこに“音”の要素が強く滲み出る。
『ノックしかけた』
『扉開ける呪文~聞こえるといいな』
『音もなく消えた』
『扉の音は鳴らない』
ここに音楽家としてのセンスを見出すのは出しゃばりが過ぎるだろうか。新しい可能性が光であるなら、その光を齎す予兆や因果が音である、と。扉を開けるのが呪文という声による音だったり、消える時には音がなかったり、扉が開く直前のノックやドアノブや鎹の軋みの音がこれからへの予感を形作ったり……ヒカルの『扉』は光と共にそれに纏わる音も大きな役割を果たしているんだなと思った朝でしたとさ。